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明治の広島市街詳細に 広電本社で資料発見 発展の歴史伝える

 広島電鉄本社(広島市中区)で、明治時代末期の同区八丁堀付近の区画図や家ごとの間取り図が見つかった。調査した広島大によると、同地区は原爆投下により甚大な被害を受けており、明治期の土地利用の状況が分かる資料は珍しいという。

 同社の前身、広島電気軌道が開業前年の明治44(1911)年12月に広島県知事に提出した書類で、土地取得関係の申請書と図面など6件。全て和紙に記してあり、計100ページを超える。保存状態は良好。一昨年4月に地下倉庫で発見した。

 広島大産学・地域連携センターの匹田篤准教授(情報デザイン)によると、図面は現在の相生通りの稲荷橋西詰め付近と八丁堀西交差点付近を結ぶ約600メートルの区間。縮尺2千分の1から100分の1まで複数あり、建物の配置や19戸の詳しい間取り図もある。

 間取り図は土間や和室、板の間、便所などの配置を正確に記している。20部屋以上もある大きな住宅や3軒続きの長屋もある。別の資料には土地所有者別に庭木や庭石、井戸などの細かな査定額も記載している。

 明治政府が江戸時代に武家屋敷だった一帯を払い下げ。その後の利用の詳細は分からなかったという。匹田准教授は「当時の市民生活や、街の発展の歴史を示す資料」とする。

 一部は20日から市郷土資料館(南区)での特別展「広島の路面電車100年」で公開される。(小笠喜徳)

(2012年10月13日朝刊掲載)

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