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サダコの母校 学ぶ平和 来年3月 幟町小に資料室

 原爆に遭い、12歳で亡くなった佐々木禎子さんが在籍した広島市中区の幟町小が来年3月、校舎の一角に「平和資料室」を開く方針を決めた。SADAKOの物語は世界へ広がり、母校への見学者は増えている。爆心地に近い本川小と袋町小にある平和資料館に続いて、平和学習の新たな拠点としての役割を担う。

 校舎1階の約30平方メートルの会議室を改装。校内の資料を集めた禎子さんの特集コーナーが展示の柱となる。病床で本人がセロハン紙で作った約1センチの折り鶴は4年前、兄の雅弘さん(76)が理事長を務めるNPO法人サダコレガシーから寄贈を受けた。さらに生前の写真が載った1955年の卒業アルバムなどを並べる。

 禎子さんをモデルとする平和記念公園の原爆の子の像は、来年で建立から60年になる。同小の同級生らが中心となって始めた建立運動に関する資料も置く。

 歴代の教員らが残したものを地元の町内会長岡部喜久雄さん(69)たちの協力でこの夏から整理を始めた。島本靖校長(56)は「来校者に平和の大切さや反戦の心を伝えたい」と意気込む。

 禎子さんは同小卒業前に入院し、回復を願う折り鶴を作り続けて白血病で亡くなった。その物語は世界中で共感を呼び、平和の象徴としての折り鶴が定着。昨年は米オバマ大統領(当時)が広島に携えた。

 同小教頭も務めた比治山大の森川敦子准教授(教育学)は「禎子さんが実際に学んだ学校で見ると訴える力がある。埋もれていた資料が国内外の人の目に触れるなら意義深い」と語る。(桑島美帆)

(2017年11月4日朝刊掲載)

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