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連載・特集

引き継ごう 朝鮮通信使の記憶 <3> 上関町観光協会(山口県)事務局長 安田和幸さん

おもてなしの心 未来へ

 朝鮮通信使に関する古文書の解読を続けて見えてきたのは、郷土上関町の先人たちの「おもてなしの心」だ。「世界の記憶」(世界記憶遺産)の登録を、さらなる観光客誘致に生かすことにも必要な気持ち。今も昔も国が違っても通じる思いがあるということ。

 通信使関連の古文書解読を始めたのは約20年前だが、一層熱を入れ始めたのは2003年。その年、韓国・釜山であった通信使ゆかりの地の全国交流大会で展示された地図に「上関」の文字がなかったからだ。上関は1607~1764年に往路で通信使が11回入港した地。ショックを受け、上関との関連をもっと調べ、発信しなければと奮起した。

 読み解いていくと、今回登録された絵図「朝鮮通信使船上関来航図」の具体的な内容も分かってきた。例えば、船の隊列は事前訓練のたまものであることや、水先案内は村上水軍の末裔(まつえい)が担ったことなど。ただ、解読した古文書は当時の役人の報告としての性質が強く、庶民がどう見ていたかも探っていきたい。

 特に興味深かった記述は、寄港した通信使に振る舞う料理に関するものだ。菓子は蜂蜜や氷砂糖、水菓子と呼ばれた果物を好むという文章が残る。反対に、朝鮮で尊ばれる鶴は食膳に並べてはならないとの内容も記してある。友好の証しとして、相手を喜ばせようという気持ちがにじみ出ている。

 来年は上関町で初めて、ゆかりの地が集う全国交流大会が開かれる。同町には絵図のほかにも、海上警護などを担った県有形文化財「旧上関番所」や高官の宿舎となった御茶屋跡など関連史跡も多数ある。多くの人に訪れてもらうにはおもてなしの心が不可欠。友好な関係を未来につなげていきたい。(堀晋也)

絵図「朝鮮通信使船上関来航図」(超専寺所蔵)
 6隻の朝鮮通信使船を萩藩の軍船などが警護して上関に入港する様子が描かれている。進行方向などから1763年の往路を描いたものと推測されている。高官の宿舎「御茶屋」や、特設される桟橋「唐人橋」などが詳細に描写されている。縦60・3センチ、横86・8センチ。

(2017年11月5日朝刊掲載)

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