×

ニュース

不戦の願い 元捕虜と共有 英兵士慰霊板移設に取り組む市民団体

 旧日本軍の捕虜だった英国人やその家族計約10人が22日から3日間、尾道市向島町を訪れる。戦時中、同町の捕虜収容所で死亡した英国兵士を慰霊するプレートの移設を進めている市民団体「尾道赤レンガの会」のメンバーと交流し、平和への願いを共有する。

 一行は慰霊プレートの移設予定現場や市内の幼稚園を訪問する。会が計画する学習会にも参加。元捕虜が当時の経験を証言する。

 会の南沢満雄会長(70)は「自分たちも被害を与えたことを知らなければ、相互理解はできない」とその意義を強調する。

 プレートは収容所で亡くなった英国人の名を刻んでいる。1998年、元捕虜たちが同町を慰霊のため訪れたのをきっかけに、日英友好を深めたいとの機運が住民の間で高まった。当時牧師だった南沢会長の呼び掛けで市民から寄付を募り2002年3月、向島紡績(同町)のれんが造りの工場外壁に設置された。かつて海軍の倉庫として使われ、捕虜収容所に隣接していた場所だ。

 しかし向島紡績は業績の悪化から昨年末に操業を停止。跡地は売却され、複合商業施設の進出が決まった。工場は解体されることに。南沢会長たちは歴史遺産として建物の保存を模索したがかなわず、プレートは跡地の一角に移設されることになった。

 移設費用は今夏にれんが約2万5千個の汚れを落として販売、売り上げを充てる。来年1月中に移設は完了する。南沢会長は「今回の交流が元捕虜の心の傷を少しでも癒やす一助になれば」と話している。(鈴木大介)

向島捕虜収容所
 1942~45年に英国と米国、カナダの捕虜約220人が収容された。近くの造船所で資材運搬などに従事していたという。終戦までに英国人23人と米国人1人が亡くなった。戦後は向島紡績の工場に。プレートが設置された建物は赤れんがの外壁とのこぎり屋根で知られたが、今年6月に取り壊された。

(2012年10月16日朝刊掲載)

年別アーカイブ