×

社説・コラム

『潮流』 小渕氏の写真

■ヒロシマ平和メディアセンター長 岩崎誠

 故小渕恵三氏の人となりを伝えるその写真は、長い記者生活で特に記憶に残る。1999年8月6日、平和記念公園の韓国人原爆犠牲者慰霊碑を首相として訪れた場面を本紙カメラマンが捉えた。鋭い目で囲む警察官に交じり、自分の顔がのぞく。

 突然の訪問だった。平和記念式典に参列した小渕氏は被爆者団体との面会で公園内に移設されたばかりの碑の話を聞いて「行こう」と即決したらしい。会場のホテルにいて慌てる関係者の動きをつかんだ。社に一報を入れて先回りのため碑へ走り、警備陣の人垣に滑り込めた。

 新聞の写真に黒子たる記者が写り込むのは本来見苦しいが、この一枚は少しばかり誇らしい。朝鮮半島出身者の原爆被害に向き合い、碑前で深々と頭を下げた宰相と、思いを一つにした気持ちになったからだ。

 その前年、小渕氏が首相として初めて臨んだ8・6のエピソードも忘れ難い。原爆資料館の代表取材で間近に接した先輩記者から聞いた。ひときわ熱心に館内を見て回り、歴代広島市長の核実験抗議文を張る壁に歩み寄ってつぶやいたという。「早くしないといけないなあ」。核廃絶への決意の吐露だったか。

 病に倒れた小渕氏は外相時代、対人地雷禁止条約に署名している。保有大国の米国にも遠慮したのか後ろ向きな官僚たちを押し切って―。健在なら米国の顔色をうかがい、画期的な核兵器禁止条約に背を向ける日本政府の姿勢をどう見るだろう。

 次の総理の座を狙う与党の重鎮は「核兵器をつくれる技術を持っておくべきだ」と公言してはばからない。被爆国の政治家が、核の脅威をどう認識しているか心配になる。慌ただしく日本を去ったトランプ米大統領には次こそ被爆地へと求めたいが、その前に永田町の新旧の面々に呼び掛けたくなる。小渕氏に倣い、原爆資料館をつぶさに見よ、と。

(2017年11月9日朝刊掲載)

年別アーカイブ