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社説・コラム

緑地帯 チャップリンと核 森弘太 <1>

 私がチャップリンの喜劇映画を初めて観(み)たのは1969年、東京在住だった20代の時である。近所にあった公民館(杉並区)で催される月例の上映会でのリバイバルだった。

 作品は、チャップリンのごく初期作の無声映画で、フィルム1巻(10分)か2巻(20分)くらいの短編ものだった。「拳闘」「駈落(かけおち)」「失恋」「放浪者」「伯爵」「勇敢」「霊泉」…。ニヤニヤ、あるいは爆笑しながら楽しんだものだ。以来、ファンになって、名画座が上映する長編作品も見逃すことはなかった。

 「喜劇王」自身によれば、あの山高帽子は紳士気取り、ちょびひげは虚栄心、がにまた足とだぶだぶのズボンには無粋のカリカチュアを秘め、ステッキは共演者の足や肩をひっかけて、プライドを表しているという。このスタイルが国を問わず、子供から知識人まで笑いにまきこんだ。

 生涯81本の映画の主人公を演じて、その多くが世界各国でヒットして百万長者にもなった。製作、監督、脚本、作曲もした20世紀最大の天才映画人だ。

 最近、そのうち37本をDVDで観る機会に恵まれ、初見とは違った印象を触発された。そして、ある「不可解」な作品に気が付いた。欧州各国ではおおむね好評を博しながら、米国では長く上映禁止扱いにされ、研究者からもほぼ無視されている1本。核の問題を扱った「ニューヨークの王様」(57年)がそれである。(もり・こうた 映画監督=尾道市)

(2017年11月9日朝刊掲載)

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