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社説・コラム

『想』 井上勝晶 8月6日 英国にて

 ことし8月6日の朝、私はグループのメンバーと共に「HIROSHIMA平和アピール」のため、英国南西部のアビンドンという小さな町のメインストリートに立っていた。

 「あの日この時間に、この青空から恐ろしいものが落ちてきたんですね」。午前8時15分、私の隣に立っていたサリーがつぶやいた時、あらためて72年前の広島を思い、心が押しつぶされるような感覚にとらわれた。

 サリーが代表を務めるアビンドン・ピース・グループは、1981年に英国に核兵器が移送された際、それに反対する町の有志が集まったことをきっかけに発足した。10人ばかりのこのグループは、それ以来、毎年欠かさずHIROSHIMA平和アピールを続けている。

 私は2008年9月に英国の放射光研究施設に、生物物理学のサイエンティストとして着任した。以来、アビンドンに暮らして丸9年になる。時間がゆっくりと流れるこの町での暮らしはとても快適で、これまで大きな苦労もなく、ましてやHIROSHIMAのことなど、あまり気にかけることなく過ごしてきた。

 呉市出身の私は昨年の8月6日の朝、彼らのHIROSHIMA平和アピールに遭遇し、いてもたってもいられなくなり、その列に加わった。そして今年は2回目の参加だった。

 私の祖母は入市被爆者だった。原爆投下の数日後、友人の安否確認のため呉から広島に入り、被爆した。しかし、祖母は誰がどんなに尋ねても、その時広島で目にしたことを決して話そうとはしなかった。今になって、それは祖母なりの平和を願う気持ちの表現だったと想像できる。

 HIROSHIMAを通して平和を訴える英国人たちと、広島の惨禍を決して語ろうとしなかった祖母。雄弁と沈黙、地理的にも時間的にも遠くかけ離れた両者の思いが、英国の小さな町でつながったような気がした。そしてこのつながりを決して途切れさせてはいけないのだと強く思った。(生物物理学者)

(2017年11月9日セレクト掲載)

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