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被爆死した姉の友と対面 広島の宮本さん 市女の同期会に参加

「私のせいで…」悔やみ72年

 15歳だった姉を原爆で奪われた広島市安芸区の宮本耀子さん(83)が、市立第一高女(市女、現舟入高)で姉の級友だった広島県府中町の石井静枝さん(87)と初めて対面した。あの日から72年、ずっと会いたかった姉の姿を重ね合わせた。(桑島美帆)

 今月6日、広島市中区で開かれた市女の同期会に宮本さんが招かれ、顔を合わせた。姉の友田藤子さんと石井さんは、4年生で同じクラスだったという。

 「教室の真ん中の席に座り、とてもおとなしい方だった。亡くなった後にお父さんが学校に来られ、生き残った私たちを見て号泣されたのを覚えている」と石井さんが思い出を語り、宮本さんは「ずっと姉のことを思って生きてきた。まるで姉と話しているようだ」と涙ぐんだ。

 藤子さんは爆心地から2キロの東平塚町(現中区)にあった自宅で、爆風で倒れた家の梁(はり)の下敷きになった。数日後、焼け跡で遺体が見つかった。原爆投下の前夜、疎開先で「家に帰りたい」と宮本さんがせがんだため、姉は妹たちを連れて自宅に戻った直後だったという。

 自身は助かった宮本さんは戦後、「私のせいでお姉ちゃんが死んだ」と悔やむ一方、大好きだった姉のことを知りたいと思い続けてきた。

 ことし2月、同期会の幹事を務める山口奎子さん(87)=南区=の証言が本紙連載「記憶を受け継ぐ」に紹介されたのをきっかけに、参加することができた。この日は姉の同期生14人が集まり、山口さんは「私たちがお姉さんの代わりだと思って、これからも来てほしい」と声を掛け、宮本さんも笑顔で応じていた。

 市女は材木町(現中区中島町)付近で建物疎開作業に出ていた1、2年生約540人や教職員を含め、676人が死亡。市内の学校では最大の犠牲者を出したとされる。

(2017年11月27日朝刊掲載)

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