×

社説・コラム

社説 19年4月末退位 皇室の将来像考えたい

 天皇陛下が2019年4月30日に退位され、皇太子さまが翌5月1日に即位することが、きのうの皇室会議で決まった。日程を定める政令が、今月8日にも閣議で正式決定される。

 象徴の務めを果たすことが難しくなりそうだ―。体力の衰えを念頭に、陛下がそんなお気持ちをビデオで国民に伝えたのは昨年8月だった。それから1年4カ月、約200年ぶりとなる「生前退位」の日程がようやく固まった。新たな時代の到来を機に、天皇と国民との関係を考えるきっかけにしたい。

 皇位継承の時期は、19年3月31日に退位し、翌4月1日に皇太子さまが即位する案も有力だった。年度替わりと重なって国民生活への影響が少なく、理解されやすいとみられていた。

 それが1カ月ずれたのは政府の判断があったようだ。年度替わりの時期には、国会での予算案審議や4年に1度の統一地方選など与野党の激しい論戦や舌戦が予想され、落ち着いた環境でなくなると考えたのだろう。

 中途半端とも言える時期になっただけに、混乱を招かないよう周知を含めた準備を進めていくことが政府に求められる。

 陛下が、憲法が定めた「象徴天皇」としての務めを果たそうとしてきたのは間違いないだろう。遠隔の地や島々を訪ねるだけではなく、阪神大震災や東日本大震災、広島土砂災害などの現地を訪れ、失意の被災者らを励ましてきた。ビデオメッセージでも述べていたように「人々の声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えてきた」と考えて実行してきた姿勢には頭が下がる。

 被爆地広島をはじめ第2次世界大戦の犠牲者への思いを持ち続けてきた。皇太子時代の1981年には、「記憶しなければならない四つの日」として終戦の日と沖縄戦終結の日に加え広島、長崎の原爆の日を挙げた。

 国内外で慰霊の旅も重ねてきた。戦後半世紀の95年には、両被爆地や沖縄に加え、東京大空襲の慰霊堂を訪れた。戦後60年の2005年には、初の海外慰霊の旅として米自治領サイパンを訪れ、国籍を問わず戦争犠牲者を追悼した。戦後70年の15年には、激戦地パラオを訪れた。

 日中戦争から太平洋戦争に突き進んだ歴史を反省し、戦後、平和国家として再出発した日本の象徴であろうとしているのかもしれない。戦争の傷痕や記憶を風化させてはいけないというメッセージを政府に代わって発しているようにも映る。

 こうした能動的な象徴としての在り方には一部に批判もくすぶっている。憲法に定められた国事行為と、歴代続く儀式など限られた役割だけ果たせばいいとの考え方である。しかし陛下の実践が国民の共感や支持を得てきたのは確かと言えよう。

 待ったなしの課題が残されている。皇族減少にどう対応するかである。「女性・女系天皇」「女性宮家」の創設には根強い反対論もあるが、皇位継承権のある男系男子が少ない中、今のままで安定した皇位継承が続けられるのか。解決が急がれる。

 退位に関する議論は有識者会議が中心となったため、国民的な協議は十分できなかった。今度こそ、21世紀にふさわしい皇室の在り方について、国民を巻き込んで話し合い、将来像を描いていくべきである。

(2017年12月2日朝刊掲載)

年別アーカイブ