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故松本さん撮影 被爆前の写真 日系3世の孫 米で展示へ

被爆75年 奪われた暮らし伝える

 被爆前、現在の広島市中区の紙屋町交差点そばで写真館を経営した松本若次さん(1965年に76歳で死去)は、原爆で奪われた街と暮らしを伝える写真を残した。その孫で米国ワシントン州在住の日系3世、松本カレンさん(63)が被爆75年の2020年、米国で祖父の写真展を開く計画を進めている。(桑島美帆)

 先月、来日したカレンさんは、若次さんの写真が保管されている広島市公文書館を訪れ、いとこの大内斉(ひとし)さん(60)=中区=らと一緒に膨大な写真を確認した。

 1906年に現在は廿日市市の地御前から移民し、約20年間、米国で生活して最新のカメラ技術を学んだ若次さん。戦前に古里に戻り、広島の写真館を拠点に学校や地域の行事を撮影したほか、当時は珍しかったパノラマ写真や芸術的な手法で街の日常風景を撮りためた。原爆投下の前に地御前に移ったため、写真が遺族宅に残った。

 今回、米国では75点の展示を予定している。相生橋と広島県産業奨励館(現原爆ドーム)周辺の戦前のパノラマ写真をはじめ、産業奨励館で開かれた見本市を鮮明に捉えた写真、地域の祭り、商店街の風景などが含まれている。

 さらに知人の映像作家に依頼し、若次さんの足跡を追う6分のドキュメンタリーも制作して会場で流す。若次さんが米国時代に農場や学校で撮影した日系移民の写真も並べる計画だ。開催場所としてはロサンゼルス市の全米日系人博物館、サンフランシスコ市のカリフォルニア歴史協会などを想定しているという。

 若次さん一家は戦争をはさんで日米に分かれた。米国で高校の教員を務めたカレンさんは、若次さんの長男で日系2世の博さん(2014年死去)の次女に当たる。

 「被爆前の広島の日常風景を紹介し、原爆投下で何が起きたのかを米国人にも知ってほしい。トランプ政権下で移民への反感が広がる中、日系人の暮らしを伝えて移民を受け入れる大切さも訴えたい」という思いをカレンさんは抱く。

(2017年12月4日朝刊掲載)

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