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魂のピアノ演奏 胎内被爆者の好井さん「人生かけたい」

■記者 桑島美帆

 被爆ピアノと出会い、中断していた演奏活動を再開した香川県坂出市のジャズピアニスト好井一條(いちじょう)さん(62)=本名敏彦・広島市東区出身=が10日、広島市安佐南区の矢川ピアノ工房で被爆ピアノコンサートを開いた。胎内被爆者であることを伏せて生きてきた好井さんは今、四国を拠点に被爆ピアノを囲む輪を広げている。

 曲目は会場で決める。この日は約30人の聴衆を前に、胎内被爆者としての生い立ちや思いを語った後、「マイウェイ」「千の風になって」などジャズやポピュラー、童謡を織り交ぜ、約20曲を奏でた。

 演奏したグランドピアノは、大正初期に製造され、音楽の指導者だった田中利夫さん(1998年に89歳で死去・呉市出身)が所有していた。被爆時は、爆心地から2キロにある広島市西区の小学校で保管されており、爆風でバラバラになった。戦後、田中さんが広島市内のピアノ工場で復元し愛用。5年前にピアノ工房を経営する調律師矢川光則さん(56)が、田中さんの死後ピアノを譲り受けていた教え子から引き取った。

 「原爆で殺され、ピアノを弾けなくなった人の魂が自分に宿っていた。だからピアニストになったんだ」-。好井さんは昨年3月、坂出市の福祉会館で初めて被爆ピアノを弾き、そう確信した。2007年10月、父の博さん(89)が地元の小学校で初めて被爆体験を語ったことをきっかけに5カ月後「原爆被害者の会・坂出」が再結成された。被爆ピアノの演奏会も開くことになり、好井さんが駆り出された。

 好井さんは、母文恵さんが妊娠4カ月のときに爆心地から約2.5キロの尾長町で被爆。広島大の軽音楽部でジャズに親しみ、卒業後は全国行脚しながらジャズピアニストとして生計を立てた。50歳を前に両親の古里である坂出市へ。だが、毎晩同じクラブで一人演奏する日々に、ピアノを弾く楽しみや意義を見失う。2年前に母が他界した後は家に引きこもり、ピアノを弾くこともやめた。そんな時、被爆ピアノと巡り合った。

 昨年8月6日、好井さんは「被爆ピアノを囲む会」を設立した。会員は香川県を中心に250人。活動資金は、被爆証言活動を続ける博さんが提供した。「たくさんの人が亡くなった広島で生き残った。残りの人生を被爆ピアノの演奏にささげたい」。好井さんは広島で演奏し、その思いを強くしている。

(2009年1月11日朝刊掲載)

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