×

ニュース

渾身の訴え 共鳴 サーローさんおい 広工大の中村名誉教授 「次世代の力に」

 ノルウェー・オスロで非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN(アイキャン))にノーベル平和賞が授与された10日夜。広島市南区出身の被爆者サーロー節子さん(85)の演説を、おいの広島工業大名誉教授、中村正孝さん(79)は南区の自宅で見守った。「これから核兵器廃絶を進めていく若い世代の力に」。原爆の犠牲となった母親やいとこたち親族を思い、その姿をたたえた。(野田華奈子)

 サーローさんを「頼りがいのある姉のよう」と慕う中村さん。原爆で苦しみながら亡くなったいとこの岸田英治さん(当時4歳)にも触れた演説に、インターネット中継を映したテレビ画面を通じてかみしめるように聞き入った。「実体験に基づく強い訴えが会場に届いた。親族として、よう頑張ったねという気持ち」

 中村さんは7歳だった原爆投下当時、広島県賀茂郡西条町(現東広島市)に疎開していた。サーローさんの兄に当たる父の勇さんはすでに病死。広島女子高等師範学校付属山中高等女学校の教師だった母道枝さんは、8月6日朝、雑魚場町(現中区)の建物疎開作業現場に動員学徒を引率して行ったまま、行方不明となった。「どこかよそで暮らしていて、ある日ひょっと帰ってくるのでは」。子供心に待ち望んでいたが、年月を経てだんだんと諦めに変わった。

 この四十数年間、毎年8月6日は作業現場近くの慰霊碑で祈りをささげてきた。母は原爆の被害者だが、生徒を引率していた「負い目」も代わりに感じてきた。電子工学を専攻し、広島工業大で教壇に立ってきたが、2012年に退いた。年齢を重ね、体力的な問題もあって今夏は慰霊碑に行かず、自らの気持ちに区切りをつけた。

 被爆者が願う核兵器廃絶はまだ実現していない中での受賞。サーローさんをねぎらいながらも「今が運動のピークになってはいけない」との危機感も抱く。「被爆者がいなくなった後の活動の継続や体験の伝え方がこれからの課題。揺れ動く国際情勢の中で、廃絶に向けてどうアプローチするか現実的な議論が欠かせない」。オスロの渾身(こんしん)の訴えが次世代に広く紡がれるよう願う。

(2017年12月12日朝刊掲載)

年別アーカイブ