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核廃絶 条約が「光」 非人道性を証言 被団協 田中さんら感慨

 「私たちの証言を聞き、警告を心に刻みなさい」。10日、ノルウェー・オスロでのノーベル平和賞授賞式で、被爆者として初めて演説した広島市南区出身のサーロー節子さん(85)=カナダ・トロント市。原爆投下によって親類8人や級友の命が奪われたヒロシマの惨禍を語り、被爆者にとっての「光」という核兵器禁止条約の推進へ、行動を呼び掛けた。(オスロ発 水川恭輔)

 午後1時ごろ。約千人が集った市庁舎ホールにファンファーレが響き、サーローさんは車いすで壇上に向かった。広島にあった母親の黒い着物の生地で仕立てた和柄のドレス姿。受賞した非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN(アイキャン))のフィン事務局長とメダルを受け取ると笑みを浮かべた。

 一転、険しい表情で演説へ。「広島と長崎で死を遂げた全ての人々の存在を感じてほしい。一人一人に名前があった」。4歳で被爆死したおいの岸田英治さんの名前を挙げ、「小さな体は溶けて、肉の塊に変わり、見分けがつかないほどでした。弱々しい声で水が欲しいと言い続けました」。非人道的な被害の証言が、出席者の涙を誘った。

 自らは広島女学院高女(現広島女学院中高)2年だった13歳の時、爆心地から約1・8キロの学徒動員先で被爆。級友を失う中、倒壊した建物の中から光を目指してはい出て一命を取り留めた。その体験に引きつけて強調した。「私たちにとって核兵器禁止条約が光です。核の恐怖という暗い夜から抜け出しましょう」。全ての国に条約加盟を求め、拍手喝采を浴びた。

 この歴史的な演説をICANの川崎哲(あきら)国際運営委員(49)は最前列で見届け、「核兵器廃絶へ行動しなければならないというメッセージが多くの人に届けば」と期待した。結成61年が過ぎた日本被団協の田中熙巳(てるみ)代表委員(85)も藤森俊希事務局次長(73)と共に式に招かれ、被爆者を「代表」したサーローさんに思いを重ねた。「頑張ってきた被爆者みんなの願いの第一歩として禁止条約が実現し、運動が高く評価された」

 式後、記者会見したサーローさんは「真剣な拍手を頂き、同じ思いをする人たちが世界に増えた満足感と達成感がある」と表情を和らげた。「各国に批准『してもらう』でなく『させて』、条約が本当に機能するものにする責任がある」。受賞を弾みにした市民社会の躍動を願った。

(2017年12月12日朝刊掲載)

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