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社説・コラム

『言』 「幸せの国」の戦争 ためらいと後悔 学ぶべき

京都大こころの未来研究センター准教授 熊谷誠慈さん

 「幸せの国」と呼ばれ、国際社会でも注目されるヒマラヤの小国ブータン。ところが意外にも14年前に戦争をした経験があり、国王や国民には今も痛切な反省があるという。「戦争に至るまでの経過や戦闘に臨む心理などには、日本が学ぶべきものが多い」と語るのは、京都大こころの未来研究センター准教授熊谷誠慈さん(37)。「ブータン 国民の幸せをめざす王国」の編著もある熊谷さんに、その真意を聞いた。(論説委員・田原直樹、写真も)

  ―「幸せの国」というイメージを抱いていました。
 マスコミなどで「世界一幸せな国」「国民の97%が幸せ」と言いますが、ブータン人自身はそのようなことを言っていません。確かに40年ほど前に唱えられた国民総幸福量(GNH)に基づいて国づくりを進め、一定の効果を挙げてはいます。でも不幸な人は多くおり、さまざまな問題を抱えています。特に国家存続を巡っては中国、インドという大国に挟まれ、ずっと緊張状態にあります。

  ―微妙なパワーバランスの下にある小国なんですね。
 17世紀に国が誕生して以来、内乱のほかチベットやインドからの侵略もあり、平和だった時期はほとんどない。周辺地域ではチベットが中国に、隣のシッキム王国はインドに、それぞれ併合され、ブータンはヒマラヤで唯一残った王国です。

  ―なぜ生き残れたのですか。
 シッキムと違ったのは、インドとの条約で外交面を握られながらも、国連加盟国だったことです。またGNHが国際社会の注目を集め、他国が手出ししにくくなった面もあるでしょう。

  ―それでも2003年には戦争をしたのですか。
 戦争といっても同国南部の密林に潜むインド・アッサム独立派ゲリラとの戦闘です。反ブータンの組織ではなく、独立を求め、インド国内に入っては破壊活動をするゲリラでした。この戦争を巡る経過や葛藤に、日本の学ぶべきものがあります。

  ―というと。
 交戦を避けようと長年、ゲリラ側と話し合いを重ねました。最終的に戦争となりますが、仏教国として不殺生の戒律との間で葛藤を抱えます。国王は高僧を呼び、出撃する兵士に「敵にも家族がおり、殺すのは許されない」と訓戒をさせています。勝利した後も戦勝記念行事は一切せず、ゲリラを殺したことを悔い、死者を悼んだのです。

  ―ならば戦争をしなければよかったのに。
 ゲリラを一掃しなければブータン国内に軍を進めると、インドが最後通告してきたのです。

 それまで6年にわたり、ブータンはゲリラ組織に国外退去を勧告し続けています。国王自身が戦争回避に直接乗り出して、30カ所以上あるゲリラキャンプ全てを回り、説得したのです。それも丸腰で。でもゲリラは退去しませんでした。

  ―業を煮やしたインドに迫られ、やむなく戦ったのですね。
 国内でインドの軍事行動を許せば、国家としての主権を失うも同然ですから、国会がブータン軍の出動を承認したのです。でもいよいよ出撃となっても、戦争の本質は人殺しで罪深い、というためらいを国王も兵士も抱えて臨んだのです。

 自国の「正義」を強調し、軍事力を誇示して圧力をかけ、戦争も辞さない構えの大国とは、姿勢が根本的に違います。

  ―戦争へのスタンス、捉え方を学ぶべきだと。
 ブータン憲法は「自己防衛や平安の保護、領土統一、主権維持のため以外に軍事力は使わない」と定めています。戦争のできる国です。その同じ仏教国が14年前にどう考え、どう行動したか。日本はしっかり検証して学んでおくべきでしょう。

  ―北朝鮮情勢が重大な危機となっていますからね。
 米朝が軍事衝突すれば日本側に犠牲者が出る可能性もあるでしょう。そうした事態に私たちはどのような態度を取るのか。

 戦争が差し迫った時、その国の倫理観や国民性が表れます。太平洋戦争をした過去がある日本で今、憲法改正が取り沙汰されますが、9条を変えるのか。国民も政府の言うがままでいいのか。議論を尽くし、覚悟を固めておかねばなりません。

くまがい・せいじ
 広島市中区生まれ。京都大大学院文学研究科博士課程修了。同大の白眉センター助教、京都女子大講師などを経て、13年4月から現職。専門は仏教学。編著に「ブータン 国民の幸せをめざす王国」、共著に「こころ学への挑戦」。広島市中区寺町の教順寺で住職を務める。

(2017年12月13日朝刊掲載)

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