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社説・コラム

寄稿 丸木美術館開館50年 岡村幸宣(ゆきのり) 「原爆の図」から命を思う

 開館50周年の節目に、公益財団法人ヒロシマ・ピース・センターから谷本清平和賞を頂いた。1967年、埼玉県東松山市に開館した「原爆の図丸木美術館」は、広島出身の水墨画家・丸木位里と、妻の油彩画家・丸木俊が共同制作で描いた「原爆の図」を常設展示する。位里は95年、俊は2000年に亡くなったが、美術館は今も、多くの人に支えられている。

 夫妻が「原爆の図」を発表し始めたのは、1950年。占領下の報道規制の中で、原爆の惨禍を人々に伝える役割を担った。その時期は、米ソの核開発競争や朝鮮戦争の勃発に重なる。再び迫る核被害への警鐘でもあっただろう。それから67年、核の脅威は収まるどころか、世界に拡散し、私たちの日常と隣り合わせにある。

 美術館で働いていると、絵を見る人の数だけ「原爆の図」があると痛感する。実際に被爆された方の目に映る「原爆の図」は、当然ながら、私が見ている絵とはまったく違う。一昨年の米国展では、原爆投下機が飛び立ったテニアン島に勤務していたという94歳の退役軍人が、絵の前で崩れるように座り込んだ。

 ソウルでの展示では、親族を原爆で亡くした在韓被爆者が慟哭(どうこく)した。内戦を経験した国から来た若者は、絵から音が聞こえると耳をふさいだ。命を宿した女性、子を亡くした親、震災を生き延びた人…。みんなそれぞれ自分の背負う歴史を重ねて、異なる「原爆の図」を見る。私は結局、ただそばにいて、一緒に絵を見ることしかできない。

 谷本賞の授賞式で、館を代表してさせていただいたスピーチでは、「平和」という言葉が近年、他者と自分の間に線を引いて、「自分たちの命を守る」という意味を強めて使われがちなことへの危惧を語った。私が丸木夫妻の作品を通して学び、考えてきたのは、命と命の間に線を引かない、ということだ。

 もちろん、自分の命は大切な宝である。しかし、究極的には分かり合えないかもしれない他者の命も、大切な宝だということを忘れてはいけない。国や民族、宗教、哲学、文化、言語の違いで、命の重さは変わらない。

 戦争だけでなく、いつの時代にも、理不尽な暴力や抑圧は生まれる。目に見えない社会的な不均衡、差別や偏見もある。そうした暴力にまっ先に気づくのは、直接痛みを受ける人たちだ。逆に最後まで気づかないのは、不均衡の恩恵を受け、無意識に加担する側の人だろう。それは、もしかしたら「平和」を語る私たち自身かもしれないと、自戒を込めて考える。

 今年は、核兵器禁止条約が国連で採択され、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))がノーベル平和賞を受賞した画期的な一年になった。「原爆の図」が、そうした人類史的スケールで問題を見つめる手掛かりになると同時に、命と命の間に線を引くことなく、それぞれに多様な一人一人の心に響く絵画であり続けてほしい。現代の若者にとって、ともすると「戦時中」であるかもしれない生きにくい時代に、明日も生きようと思ってもらえる絵画であってほしい。

 「原爆の図」のある美術館で、そう心から願いながら、日々の仕事に励んでいる。(原爆の図丸木美術館学芸員)

(2017年12月12日朝刊掲載)

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