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連載・特集

イワクニ 地域と米軍基地 フェンスでのそばで <上> ごう音の下

 米空母艦載機の移転が続く岩国市の米軍岩国基地。極東最大級の基地へと変貌する中、中国新聞記者が10月中旬、滑走路に程近い場所に移り住んだ。地域はどう変わり、住民は何を思うのだろう。「基地の街」で、その日常を見つめる。(藤田智)

未明や早朝 突然の重低音 時間外運用 3日続く

 朝日も昇りきらない早朝、押しつぶすようなごう音で目を覚ます。窓やふすまがカタカタと震える。戦闘機が大きく東に弧を描きながら高度を上げ、視界から消えた。基地の滑走路から2・5キロほど離れたマンション。ベランダから、住宅や町工場が肩を寄せ合う町並みの向こうにフェンスで囲まれた基地が見える。

影響は見通せず

 「まだ飛行機は増えるんでしょう? これからどうなるんね」。知り合った近所の80代の男性が自宅の玄関に招き入れてくれた。移転は8月に始まり、これまでに計画の計61機のうち約6割が移ったが、影響はまだ見通せない。

 市中心部に位置し、錦川河口に広がる岩国基地。事実上の出撃基地となったベトナム戦争時、離着陸回数は今よりはるかに多かった。その時代を知る男性はつぶやいた。「ずっと住んどるもんは離れられんよ」。ひのき造りが自慢のわが家でできることは一つ、と言う。「何も起きないことを願うこと」

 6日未明、部屋が突然、重低音に襲われた。米軍機が深夜や早朝に離着陸する時間外運用だ。米軍が市や山口県などと「約束」している運用時間は午前6時半~午後11時。時間外運用はそれから3日連続で続いた。8日は午前6時20分すぎ、騒音で起こされた。

 滑走路から2キロほどに住む江波三郎さん(72)=旭町=も騒音で目を覚ましたという。江波さん宅は2年前、国の補助で防音工事を施した。お邪魔すると確かに記者の部屋より静かだ。「隣家が壁になるのか居間は抑えられるが、2階の寝室は響く」。2010年、滑走路が1キロ沖出しされたが、騒音は大きく変わらないのが実感という。

 江波さんの心配の一つは、滑走路を空母の甲板に見立てて離着陸を繰り返す陸上空母離着陸訓練(FCLP)。岩国基地では00年を最後に実施されていないが、それまで頻繁に行われていた。「普段と全然違う。5、6機がぐるぐる回ってゴーゴーと鳴りやまない」。市と県はFCLPの実施を認めないというが、米軍の確約はない。

住民 複雑な思い

 今月上旬、地域の忘年会に誘われた。基地の話はあまり話題に上らない。水を向けると、「(基地関係の)仕事で生活が懸かっている人、どうにもならんと諦めている人。思いはさまざま」と自治会長の70代男性。「地域の総意と受け取られることもあるから」と慎重に言葉を選んだ。

 基地正門のそばに住む山県克彦さん(70)=車町=は艦載機移転に「もろ手を挙げて賛成でなくても、受け入れざるを得ない」。米軍関係者の増加が近所の交通渋滞やトラブルにつながらないか、不安もよぎる。「基地と共に生きなければならないからこそ、市や県、国は地元にしっかり寄り添ってほしい」

 移ってきた艦載機は早速、訓練飛行を始めた。北朝鮮情勢の影響からか、記者が住み始めた頃より基地が慌ただしくなったと感じる。だが、フェンスの向こう側の実情は分からない。住民の複雑な思いをよそに、師走の基地の街にごう音が響く。

米軍岩国基地
 岩国市を流れる錦川河口のデルタ地帯に位置し、太平洋戦争終結までは旧日本海軍の航空基地だった。厚木基地(神奈川県)から空母艦載機61機が移転する計画は、在日米軍再編の一環として日米両政府が2006年に合意。10年、滑走路の沖合移設が完了し、総面積は約790ヘクタールとなった。艦載機は今年12月までにFA18スーパーホーネット戦闘攻撃機など約36機が到着。予定通り来年5月ごろまでに移転が終われば、米軍機は倍増の約120機、米軍関係者は約3800人増の1万人超となる。

(2017年12月20日朝刊掲載)

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