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連載・特集

イワクニ 地域と米軍基地 フェンスでのそばで <中> 「カワシモ」盛衰

特需の日々 遠い記憶

時代と事件 地区を翻弄

 「WELCOM NAVY VAW125」(ようこそ 海軍VAW125部隊)―。バーの扉に、つづりが省略された手書きのメッセージが張り出されていた。米軍岩国基地(岩国市)に新しく配備された空母艦載機部隊を歓迎する言葉だ。店内の壁面を飾るパイロットや司令官、家族らの記念写真が、店と基地との親密さを物語る。

 基地に隣接する川下(かわしも)地区。「米兵にとって私は父親やおじいさんの年齢。お守り役のつもりだよ」。カントリーバー「ニュー・ヒルベリー・ヘブン」を営む永峯守俊さん(77)はほほ笑んだ。この地区にバーを構えて半世紀近くになる。

 正門前に延びる約800メートルの通りは、かつて米兵であふれかえった。朝鮮戦争から始まった「特需」がピークを迎えたのはベトナム戦争中の1970年ごろ。数千人が乗り組む空母の寄港もあった。戦地へ向かえば明日の命は分からない。派遣が決まると、ポケットの有り金を置いて去った。繁華街で働く女性が殺害されるなど、米兵による犯罪もたびたび起きた。

 そんな時代は幻のように通りは寂れた。円高もあり基地の外に飲みに出る米兵が減った。各地で米兵が絡む事件が起きるたび、外出禁止や飲酒規制も繰り返される。通り一帯に100店を超えた飲食店は現在、20店ほどにまで減った。

 米軍厚木基地(神奈川県)からの艦載機移転に伴い、岩国基地の関係者は1万人超になるとされる。「数は増えても、川下の状況は大きくは変わらんよ」。基地に寄り添う街の盛衰を見てきた永峯さんは、そう見立てた。

 艦載機移転を前に、地元経済界は建設業を中心に関連工事などで潤った。工事がほぼ終了した今、岩国商工会議所などは基地人口の増加を「商機」と捉え、消費取り込みに向けた外国人向けビジネスの相談窓口の設置などの支援事業を重ねる。だが、この通りを歩くと、それが遠い世界の話のように感じる。

 一方で新たな風も吹いている。16日夜。一帯で唯一のクラブ「YOLO」(ヨロ)でイベントが開かれると聞いてのぞいた。扉を開けるとリズムに乗って踊る人たちの渦。基地の若者たちも多い。カウンターの奥でオーナー兼DJのポルシェ遥さん(30)が開口一番、「これだけお客さんが入ったのは久しぶり」。沖縄県で11月、米兵が飲酒運転で死亡事故を起こしたのに伴い、岩国基地の飲酒規制が緩和されて初の週末だった。

 イベントは、バルタザール・マイケル・シェーンさん(43)との共同企画。厚木基地近くで中古車販売業を営んでいるシェーンさんは「岩国に移る仲間をずっとサポートしたい」と10月末、岩国基地前に新店舗「イワクニオートセールス」を構えた。

 20歳で渡米し、本場のヒップホップに傾倒した遥さんは2年前、通り沿いにクラブをオープンした。2人は今後も定期的にイベントを開き、川下に根付きたいと言う。「ここで店を続けることが大変なことは覚悟している」。遥さんは力を込めた。

 時代に翻弄(ほんろう)され続けたカワシモ・ストリート。艦載機移転という大きな節目に向き合う人々の姿がある。(藤田智)

(2017年12月21日朝刊掲載)

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