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社説・コラム

『潮流』 リンゴの思い出

■論説主幹 佐田尾信作

 「実はあの後、日本人はリンゴが嫌いなのか、と近所で持ち切りでした」。四半世紀も前の取材の後日談を教えてくれたのは、国広洪恵生(こうえい)さん(47)だった。先日、呉市で開かれた中国帰国者の証言を聞く集いで久々に再会を果たした。

 1991年の夏だった。当方は本紙連載「移民」の取材で、広島県佐伯開拓団出身の残留孤児、国広月枝さんに会うため、中国吉林省の徳恵県を訪ねた。月枝さんの娘の1人、洪恵生さんも出迎えてくれた。

 もてなしの食卓には果物の山。リンゴは丸ごと出されていた。実は中国ではリンゴを切り分けないで食べる習慣があるらしい。聞き取りにも忙しかった当方は手をつけなかったが、その一部始終が陰では小さな誤解を招いていたのだ。

 それにしても観光地でもない農村を日本人記者が訪ねてきたことは、ちょっとした「事件」だったことが分かる。地元の役人も多数同行した。それほど残留日本人の帰国問題が当時の日中間の重要な懸案だったとは、隔世の感がある。

 洪恵生さんは2年後、月枝さんの永住帰国に伴い、一家で安芸高田市吉田町に移り住んだ。地元の宮地文雄さんが特別身元引受人になり、クリーニング店で働き始めた。「最初の朝のあいさつで『お休みなさい』とやってしまって…」と集いでは場を沸かせた。

 広島市西区で暮らす今は帰国者のための自立支援通訳を務めている。1人では通院もできない1世の帰国者は少なくない。自身にも妹が交通事故に遭った時に動転し、覚えた日本語を口に出せなかった苦い思い出がある。「通訳してくれる人がいたらどんなに心強かったか」と振り返る。

 再会後、短い電子メールが届く。日々か寒くなっていているので、お身体くれぐれもお気をつけください―。多少の誤字にもほっとするものを感じている。

(2017年12月23日朝刊掲載)

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