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連載・特集

[つなぐ] 広島大大学院生 イスマイル・ギアメルさん(29)=フィリピン出身

復興の歩み学び 古里へ

 フィリピン・ミンダナオ島と周辺の島々に「バンサモロ」と呼ばれる自立を目指す地域がある。イスマイル・ギアメルさん(29)=東広島市=は、この地域に生まれた敬虔(けいけん)なイスラム教徒だ。9月から国際協力機構(JICA)の支援を受けて、広島大大学院国際協力研究科で開発技術を学ぶ。

 キリスト教国であるフィリピン。政府軍と、武装勢力だったモロ・イスラム解放戦線との紛争が、40年以上続いていた。ただ2014年の包括和平合意に伴い、バンサモロは新たな段階を迎えた。ギアメルさんは母国の大学を卒業後、バンサモロ開発庁に就職。日本への留学を決意した。

 これまでもミンダナオの平和構築に関わってきたヒロシマの大学で、主に再生可能エネルギーの研究に取り組む予定だ。「バンサモロの復興の一翼を担いたい」という強い思いを抱く。

 実家があるリブタン村では子どもの頃から日夜問わず銃撃戦が繰り広げられていた。「バンっ、バンっという銃音とともに育ち、いつの間にか戦時下の環境に慣れていた」と振り返る。それでも10歳のころ、身の危険に直面する。弟やいとこと遊びながら、家畜の牛を連れて牧場へ向かう途中、銃撃戦に巻き込まれたのだ。とっさに伏せ、ほふく前進して難を逃れる。「本当に怖かった」。20年近くたった今も、その記憶は鮮明だ。その後、母の親類宅に身を寄せたこともある。

 貧困や麻薬、住民同士の衝突―。天然資源が豊富なミンダナオ島は紛争が絶えなかった。道や建物が破壊され、多くの人たちが殺され、住み慣れた家を追われた。「何もかも失い、食べ物も教育もない避難生活を強いられるつらさを私は知っている。生きる希望を失うんだ」

 広島での留学生活を始め、「開発と平和は両輪。人々が幸せと感じなければ、復興は成し遂げられない」と思うようになった。平和イベントに参加する機会も増えている。この11月には広島湾に浮かぶ似島(広島市南区)であった「ピーストーク」に招かれた。原爆投下後、数え切れない負傷者が運ばれ、亡くなった島。そこに集まった住民や学生らを前に、バンサモロの苦難の歴史を語った。

 参加したお年寄りから「広島は被爆体験を伝え続け、平和を求めてきた。あなたたちも体験を子どもたちに伝えてほしい」と声を掛けられたという。原爆の悲劇を経験した似島は日常の暮らしがあり、学校も街もある。復興を待つ古里と重ね、「われわれにもできる」と感じたという。

 現地では一部の過激派勢力による戦闘が今なお続き、和平プロセスが道半ばのまま、一進一退を繰り返している。今月、ミンダナオ島全域に及ぶ戒厳令が、来年末まで延長されたばかりだ。

 広島大への留学期間は約2年。可能な限り復興に向けたノウハウを吸収したいという。「バンサモロが宗教を超えて調和を大切にし、平和な社会を実現するよう全力を尽くす」と心に誓う。(桑島美帆)

(2017年12月25日朝刊掲載)

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