×

連載・特集

[核なき世界への鍵] 終わりの始まりへ一歩

 ことし、被爆者の訴えを背に、核を持たない有志国と市民社会が力を合わせ、核兵器をなくす道筋を描いた核兵器禁止条約を作り上げた。貢献した非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)にはノーベル平和賞が贈られ、連帯してきた市民、外交官は「We did it(やり遂げた)」との思いをかみしめた。ただ、安全保障を核に依存する国々は条約に反発し続けている。この1年を核兵器の「終わりの始まり」とできるのか。条約という「光」に導かれた先にある核兵器のない平和な世界へ、ヒロシマから踏み出したい。(水川恭輔、金崎由美、城戸良彰)

世論喚起 SNSが力に

 「Yes I can」(私はできる)。ノルウェー・オスロでのノーベル平和賞を祝うパレードで各国市民が声を重ねたフレーズ。ICAN加盟のピースボート(東京)は、ツイッターなど会員制交流サイト(SNS)で、核兵器のない世界に向けた投稿の検索目印(ハッシュタグ)に「#YesICAN」を使い、関心の低い市民にも輪を広げようとしている。

 「平和とSNSがつながるのは新鮮。写真をみんなと共有し『楽しいよ』と発信したい」。広島市内で9日、ICAN受賞を祝うキャンドルイベントに参加した安佐北区の広島文教女子大1年三浦桃子さん(18)はほほ笑んだ。平和活動の経験はほとんどなく、先輩の誘いで参加。同じように活動に及び腰な若者の背中をSNSが押してほしいと願う。

 SNSを駆使して「革新的」(ノーベル賞委員会)に核兵器禁止の機運を盛り上げたICANは、今後も世論喚起に重きを置く。核兵器禁止条約が描く廃絶の道筋はまさに「市民の腕力」が問われるからだ。

 9月20日に各国による条約への署名が始まり、ICANは2018年内の条約発効(50カ国の批准が要件)を目指す。その先、加盟国と市民社会が手を携え、核保有国や「核の傘」の下にある国を世論の力で条約体制に引き寄せられるかが焦点。未加盟国がオブザーバーとして招待され、NGOも参加できる締約国会議や、核依存を減らす先制不使用や非核兵器地帯の促進なども重要になる。

 批准への行動を誓った政治家の名前・写真をSNSで拡散、核兵器関連産業と取引する「非倫理的」金融機関リスト公開と取引中止の働き掛け…。ICANを引っ張るオーストラリアやオランダのメンバーは議会の意思や企業倫理を味方に付けようと行動する。

 ただ、平和賞をもってしても、ツイッターなどでは、北朝鮮問題などに絡めて条約に後ろ向きな声が数限りない。「廃絶なんて無理」「禁止は非現実的」。前向きに「できる」と呼び掛ける「希望のツイート」が廃絶への力を増す。

「必要悪」に反論 「絶対悪」

ICAN平和賞演説

 ICANの2人のノーベル平和賞の受賞演説は、核兵器禁止条約に背を向ける核保有国や「核の傘」の下にある国からの批判に対する反論の色を帯びていた。「核兵器は私たちを安全にしない」(フィン事務局長)「核兵器は『絶対悪』」「(条約を)核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか」(被爆者のサーロー節子さん)

 7月の制定から間もなく半年。条約に対する批判の中心は「自国や同盟国の安全保障上の懸念」だ。保有国やその同盟国は核兵器廃絶を目指すとしながら、「耐え難い報復」(河野太郎外相)をちらつかせて敵対国に攻撃を自制させる抑止力のため、核を当面「必要悪」と捉えている。

 一方、推進側は核兵器の禁止で核軍拡などの後戻りを防ぎ、「使われない唯一の保証」の廃絶を速やかに目指す条約は「安全保障を強める」と正面から反論。フィン氏は、抑止のためという核保有が北朝鮮などの核開発を招いて対立につながり、激化すれば使われかねないと演説で指摘した。事故やテロによる爆発も含め、保有国の核が「国境を越える破局的な結果(条約前文)」を招く恐れがあり、「全人類の安全保障」を脅かしているとの認識が加盟を強く迫る基調にある。

 批判派は当初、「核兵器禁止条約に入る国が、核不拡散の柱である核拡散防止条約(NPT)を脱退しかねない」との「悲観論」も唱えたが、現実に動きはない。国連総会第1委員会(軍縮)などでは、廃棄を確かめる検証の具体策が未定の点に矛先を向けたが、推進派は北朝鮮の非核化も見据え「共に考えよう」との姿勢で応じている。

 保有国が反発する中、ノーベル賞委員会もICANへの授賞に際し「条約だけでは、核兵器を1発も削減できない」とくぎを刺した。ただ、核超大国の米ロの元首脳や宗教指導者たちからも、条約のビジョンやICANの活動を後押しする発言が出ている。今、世界に核があるのと、ないのとどちらが「安全」か―。条約はそう問い掛ける。

「核の傘」脱却 議論不足

日本の加盟

 条約交渉会議では、核保有国をいかに早く条約体制に巻き込むかが大きな議論になり、4条で、保有核を完全放棄する前でも、廃棄計画の提出などの条件を満たせば締約国になれると定めた。一方、米国の「核の傘」の下にいる日本に関しては条件がはっきりせず、現時点では、同盟関係を「核抜き」にすればいい、という見方が大勢だ。

 ただ、1条で核使用や、使用の威嚇に自ら手を染めるだけでなく、他国に促すことなども禁じる中、何をもって「核抜き」と認められるか難しい。いざというときの核使用を米国に求める日本。広島市内で先月あった国連軍縮会議でも、その条約加入の可否を巡ってやりとりはあったが深まらなかった。

 登壇した、条約交渉会議議長のホワイト大使(コスタリカ)は「さらなる研究が必要だ」と説明。会場で質問した大阪女学院大の黒沢満教授(軍縮国際法)は「交渉会議で議論不足だった分野。少なくとも米国は、日本の現状は禁止条約と合致しないと明確に判断している」と指摘する。

 実際、「核の傘」は日米同盟にますます深く組み込まれているように見える。

 先月、核兵器の搭載が可能な米空軍のB52戦略爆撃機と、航空自衛隊のF15戦闘機が朝鮮半島有事を念頭に共同訓練をしていたことが判明。オバマ前政権で始まった日米拡大抑止協議は「(核同盟の)北大西洋条約機構(NATO)のような協議の枠組みを目指した」(ロバーツ元米国防次官補代理)。核兵器の使用シナリオを巡り、日本側から具体的要望もあるという。

 米国からの片務的な提供というより、日本が積極的に求め、関与を深める「核の傘」。条約加盟の壁であることは間違いない。機密の壁は厚いが、市民から政府に具体的行動を迫ることが不可欠だ。日本の安全保障政策を根本から問う作業になる。

核兵器禁止条約・前文

 条約の締約国は、
 一、国連憲章の目的と原則の実現に貢献することを決意する

 一、核兵器の使用によって引き起こされる破局的な人道上の結末を深く懸念し、そのような兵器全廃の重大な必要性を認識、全廃こそがいかなる状況においても核兵器が二度と使われないことを保証する唯一の方法であると認識する

 一、偶発や誤算あるいは意図に基づく核兵器の爆発を含め、核兵器が存在し続けることで生じる危険性に留意。これらの危険性は全人類の安全保障に関わり、全ての国が核兵器の使用防止に向けた責任を共有していることを強調する

 一、核兵器の破局的な結果には十分に対処できない上、国境を越え、人類の生存や環境、社会経済の開発、地球規模の経済、食料安全保障および現在と将来世代の健康に対する深刻な関連性を示し、ならびに電離放射線の結果を含めた母体や少女に対する不釣り合いな影響を認識する

 一、核軍縮ならびに核兵器なき世界の実現および維持の緊急性に対する倫理的責務を認識し、これは国家および集団的な安全保障の利益にかなう最高次元での地球規模の公共の利益である

 一、核兵器の使用による被害者(被爆者)ならびに核兵器の実験によって影響を受けた人々に引き起こされる受け入れ難い苦痛と危害に留意する

 一、核兵器に関わる活動で先住民に対する不釣り合いに大きな影響を認識する  一、全ての国は国際人道法や国際人権法を含め、適用される国際法を常に順守する必要性があることを再確認する

 一、国際人道法の原則や規則を基礎とし、とりわけ武装紛争の当事者が戦時において取り得る方法や手段の権利は無制限ではないという原則、区別の規則、無差別攻撃の禁止、均衡の規則、攻撃の予防措置、過度な負傷や不要な苦痛を引き起こす兵器使用の禁止、自然保護の規則に立脚する

 一、いかなる核兵器の使用も武力紛争に適用される国際法の規則、とりわけ人道法の原則と規則に反していることを考慮する

 一、いかなる核兵器の使用も人間性の原則や公共の良心の指図に反することを考慮する

 一、各国は国連憲章に基づき、国際関係においていかなる国の領土の一体性や政治的独立、あるいはその他の国連の目的にそぐわない形での武力による威嚇や使用を抑制すべき点を想起し、さらに国際平和と安全の確立と維持は世界の人的、経済的資源を極力軍備に回さないことで促進される点を想起する

 一、1946年1月24日に採択された国連総会の最初の決議ならびに核兵器の廃棄を求めるその後の決議を想起する

 一、核軍縮の遅い歩みに加え、軍事や安全保障上の概念や教義、政策における核兵器への継続的依存、ならびに核兵器の生産や維持、近代化の計画に対する経済的、人的資源の浪費を懸念する

 一、核兵器について後戻りせず、検証可能で透明性のある廃棄を含め、核兵器の法的拘束力を持った禁止は核兵器なき世界の実現と維持に向けて重要な貢献となる点を認識し、その実現に向けて行動することを決意する

 一、厳密かつ効果的な国際管理の下、総合的かつ完全な軍縮に向けた効果的な進展の実現を視野に行動することを決意する

 一、厳密かつ効果的な国際管理の下での核軍縮のための交渉を誠実に追求し、結論を出す義務があることを再確認する

 一、核軍縮と不拡散体制の礎石である核拡散防止条約の完全かつ効果的な履行は国際平和と安全を促進する上で極めて重要な役割を有する点を再確認する

 一、核軍縮と不拡散体制の核心的要素として、包括的核実験禁止条約とその検証体制の不可欠な重要性を再確認する

 一、国際的に認知されている非核地帯は関係する国々の間における自由な取り決めを基に創設され、地球規模および地域の平和と安全を強化している点、ならびに核不拡散体制を強化し、さらに核軍縮の目標実現に向け貢献している点を再確認する

 一、本条約は、締約諸国が一切の差別なく平和目的での核エネルギーの研究と生産、使用を進めるという譲れない権利に悪影響を及ぼすとは解釈されないことを強調する

 一、平等かつ完全で効果的な女性と男性双方の参加は持続性ある平和と安全の促進・達成の重要な要素であり、核軍縮における女性の効果的な参加の支持と強化に取り組むことを再確認する

 一、あらゆる側面における平和と軍縮教育、ならびに現代および将来世代における核兵器の危険性と結果を認知する重要性を認識し、さらに本条約の原則と規範の普及に向けて取り組む

 一、核兵器廃絶への呼び掛けでも明らかなように人間性の原則の推進における公共の良心の役割を強調し、国連や赤十字国際委員会、その他の国際・地域の機構、非政府組織、宗教指導者、国会議員、学界ならびに被爆者による目標達成への努力を認識する

核兵器禁止条約 前文の解説

平和構築 経済的・人的資源の浪費懸念

 条約前文は核兵器について「生産や維持、近代化の計画に対する経済的、人的資源の浪費を懸念」と切り込んだ。実際、米国の議会予算局が10月に更新した今後30年の核戦力近代化の予算は推計約1・2兆ドル(約135兆円)に、跳ね上がった。

 単純計算で1年に約4・5兆円。貧困・飢餓の根絶や平和構築、気候変動対策など17の「持続可能な開発目標」(SDGs)に取り組む国連と、国連開発計画、国連児童基金(ユニセフ)など33国連機関への昨年の米国の拠出金合計(約1・1兆円)の約4倍だ。国が重視する核兵器関連の仕事には、人材も流れる。

 ヒト、モノ、カネを費やした末に核戦争で100発規模が使われれば、SDGsを踏みにじるように、気候変動により約20億人の飢餓を招くと推計される。

 被害は「地球規模の経済、食料安全保障と深刻に関連」。こう警鐘を鳴らす条約の採択には貧困問題に直面するアフリカなどの国々が賛成。全米市長会議も支持の立場から核の近代化予算を教育や環境対策に回すよう決議した。

 「核抑止は現在のさまざまな安全保障問題の解決に無力」。平和首長会議の小溝泰義事務総長は強調する。今年8月の総会で決めた新行動計画は核兵器廃絶との両輪に、テロ、難民、環境破壊対策など「都市の安全」を打ち出した。

 国の違いを超え、都市間の信頼を築いて問題を解決し、核抑止に頼らない安全保障の構築を―。現在162カ国・地域の7514都市が加盟。「核抑止あっての平和」を考える国々に条約を追い風に翻意を促す。

女性の参加 支持と強化 取り組み再確認

 「核軍縮における女性の効果的な参加の支持と強化に取り組むことを再確認」。ノルウェー・オスロでノーベル平和賞授賞式に出席した日本被団協事務局次長の藤森俊希さん(73)は前文のこの一節をかみしめた。壇上でメダルと賞状を交わした3人は女性。条約交渉会議の議長、国連の担当責任者も女性だった。

 国連安全保障理事会は2000年に平和・安全保障の議論への女性の参画促進を決議。「武力紛争下で不利な影響を受ける圧倒的多数は女性や子ども」(決議文)なのに、政治家や政府高官の多くを男性が占める国は女性の議論参加が阻害される傾向にあるからだ。

 国連本部での条約交渉会議では、世界経済フォーラムの今年の調査で男女格差が少ない世界トップ10のアイルランドやニュージーランドの女性外交官が議論を引っ張った。「電離放射線の結果を含めた母体や少女に対する不釣り合いな影響を認識」。原爆小頭症などを引き起こした、妊娠中の女性の被爆を念頭にした一節も入った。

 日本は同調査で114位だ。授賞式で演説した被爆者のサーロー節子さん(85)は直後の記者会見で、1954年に米国の水爆実験によるビキニ事件に端を発した日本の原水爆禁止運動は、女性が生活の場での署名集めに大きな役割を果たしたと強調。会見に並んだ藤森さんに呼び掛けた。「(男女)一緒にやりましょう」

人権・環境 先住民の安全奪った歴史刻む

 世界では核実験が2千回以上繰り返された。ICANなどが条約草案を巡る交渉で提案し、前文に追加された一節がある。「核兵器に関わる活動の先住民に対する不釣り合いに大きな影響」。核保有国が核抑止力による国家の安全を唱えながら核開発の代償を旧植民地の先住民たちに強い、安全な生活を奪った歴史を刻んだ。

 条約交渉会議ではオーストラリアの先住民族アボリジニの女性スー・ハセルダインさん(66)が演説した。1950~60年代に、英国が核実験をした砂漠地帯マラリンガ近くで育ち、幼少期に被曝(ひばく)。住民の健康不安が拭えない実態に各国代表が聞き入った。

 条約前文は国際人権法の順守を記し、6条は核実験の被害者支援と汚染の改善も規定。核兵器にかかわらず軍事開発が人権、環境を侵す事態を許さない視座を開いたとの評価もある。

 一方、反核NGOには、ウラン採掘の段階から先住民族らが受けてきた核被害や、原発事故などを問う声が強く、NPT体制の「平和目的の核利用」を再確認する前文の一節についてはICANが交渉で削除を訴えた。

 授賞式にはハセルダインさんをはじめ核実験被害者も出席。サーローさんは受賞演説で「ムルロア(仏核実験場)、エケル(同)、セミパラチンスク(旧ソ連)、マラリンガ、ビキニ」と一つ一つの地名を力を込めて読み上げた。「世界のヒバクシャ」が声を一つに―。ヒロシマ・ナガサキからの一層の連帯が欠かせない。

◆シリーズを終えて

 まず核兵器禁止条約前文を読んでみよう。原点となった「8月6日」「8月9日」を想像しながら。市民に提案したい「始まりの一歩」だ。

 一発でも使えば、人間がどうなるか。条約へ懐疑的な市民こそ原点をまず知ってほしい。そして、条約を推進する国やNGOが「被爆者の苦痛」を強調するため、こだわって加えた一語をかみしめてほしい。「unacceptable(受け入れられない)」

 あの日、きのこ雲の下で被爆を強いられた当人の苦しみを強調するだけではない。自分の国とは離れていても、どんな理由でも、人間がそのような苦痛に再び遭うのは「受け入れられない」。人類の決意として読んでもらいたい。

 条約は、核保有国や「核の傘」の下にいる国の市民へは、こう問い掛けている。いざというとき「敵国」の人間ならば核による苦痛を強いること、その報復で自らも同じ苦痛に遭いかねないことを安全保障と「受け入れる」のか―。政府が「傘」を求める被爆国の市民へも向けられている。(水川恭輔)

 シリーズ「核なき世界への鍵」は今回で終わります。

(2017年12月29日朝刊掲載)

年別アーカイブ