×

ニュース

被爆当時 教員の記憶 1日から追悼祈念館 手帳初公開

疎開作業予定生徒に自宅待機指示

 原爆で壊滅的な被害を受けた旧制広島一中(現国泰寺高)に焦点を当てた企画展が1月1日から、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)で始まる。当時の教員、戸田五郎さん(2003年に91歳で死去)が生々しい記憶をつづった手帳を初公開する。

 12年に遺族から同館に寄贈された手帳は縦11センチ、幅7センチ。戸田さんが戦後、持ち歩いて少しずつ書き足したらしく何度も直した跡がある。1945年8月6日は郊外にいて助かるが、市中心部に入って生徒を捜し、目にした悲惨な光景を絵も交えて書き残した。

 さらに手帳によれば当日、市内の建物疎開作業に出る予定だったという2年生の一部について空襲に遭う危険があると考え、「憲兵隊に拘引(こういん)され反逆罪に問われるかもしれない」と悩みつつも自宅待機にしたと記している。

 そのため直接、原爆に遭わなかった2年生の一人が元広島大学長原田康夫さん(86)だ。「休みにする、と指示を受け、呉の自宅にいた。本当なら死んでいたのに戸田先生のおかげで生き残った」と記憶をたどる。

 戸田さんは大戦中は物理や化学を教えたがもともと英語教員。戦後の別の手帳に同じ内容を英語で書いたものが併せて公開される。長女の田中寿和子さん(77)=安佐北区=は「父は誰よりも平和を願った人だった。その思いを感じてほしい」と期待を寄せる。

 一中は教職員を含め369人が亡くなったとされ、爆心地から約900メートルの校舎にいたり、周辺で建物疎開作業をしたりしていた1年生から、とりわけ大きな犠牲者を出した。

 「星は見ている」と題した企画展は亡くなった生徒を父母らが追悼した同名手記集からの26編と、被爆した制服、遺影など80点を集める。来年12月29日まで。(桑島美帆)

(2017年12月30日朝刊掲載)

年別アーカイブ