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社説・コラム

社説 怒りが支配する世界 「公議」の風 吹かせよう

 ちょうど1年前の社説の冒頭で、米国民がトランプ氏を大統領に選んだ現実に対してこう問うた。この「熱狂」はこれからどこへ向かうのだろうかと―。

 やがて熱狂は一つの事件を引き起こした。昨年8月に米バージニア州で起きた、白人至上主義団体と人種差別に反対する団体の衝突事件である。「クー・クラックス・クラン(KKK)」といった秘密結社は過去の遺物だと思っていたが、そうではなかった。

 「怒り」や「憎悪」の感情が今、世界中に渦巻いている。ジャーナリストの杉田弘毅氏は近著「『ポスト・グローバル時代』の地政学」の中で、二つの大戦による破局を経て「地政学」を乗り越える知性を世界は得たはずなのに、21世紀の今なぜよみがえっているのか―と問い掛ける。

テロの種子拡散

 地理的条件によって大国となるか、大国に挟撃される国となるか、地政学は適者生存の宿命論に陥りがちだという。ナチスドイツは「生存圏」の名目で東欧に侵攻し、軍国日本も「大東亜共栄圏」を掲げてアジア・太平洋諸国に多大な犠牲を強いた。

 そんな負の学説を克服してきたのが人類の知性だったはずだ。ところが、そこへ割って入り侮れない力を持ってきたのが、民族主義や宗教などに名を借りた怒りや憎悪の感情にほかならない。

 過激派組織「イスラム国」(IS)がそうだ。壊滅状態に追い込まれたとはいえ、テロの種子は全世界に拡散しつつある。理由のない暴力が平穏な都市で突然牙をむく事件は昨年も相次いだ。

 東南アジアではミャンマーによる国内少数民族ロヒンギャへの迫害が、深刻な人道問題に発展している。民族浄化さえ懸念されるのに、ノーベル平和賞を受賞したアウン・サン・スー・チー氏にして事態を制御できていない。

 むろん、感情はこれまでも国際政治を動かしてきた。だが今大きく違うのは、杉田氏の言葉を借りれば、超大国である米国の基調がオバマ氏という「希望」から、トランプ氏という「怒り」に変質したことだ。人類が何世紀もかけて築いた自由や平等の価値観に背を向けかねない流れである。

談論し政を行う

 ならば、日本の果たす役割はどこにあるのだろう。ことしは明治改元から150年の節目である。その視点で考えてみたい。

 先日急逝した時代小説家の葉室麟(はむろ・りん)氏は、松平春嶽(しゅんがく)を描いた「天翔(あまか)ける」が遺作になった。春嶽は旧幕府と新政府の両方で要職に就いた徳川一門の傑物だが、彼が説いた「国是七条」の中に「大いに言論の道をひらいて天下と共に公の政を行う」という一カ条がある。幕政を徳川家の私の政から、公の政に移行させようとした。

 志ある人材を身分にこだわらず登用し、大いに談論して政を行う。それが「公議」だろう。武力でなく公議を通じて徳川家と諸侯の大連立による救国政権を打ち立てる。今に例えるなら、春嶽にはそんな構想があったに違いない。

 明治の世は西欧に学んで富国強兵の道も敷いたが、議会や憲法という民意をくみ上げようとする仕組みも築いた。今の憲法の大黒柱である平和主義と併せて、内にも外にも掲げることのできる、色あせない旗ではあるまいか。

 とはいえ今、日本の三権分立が健全に機能しているかというと、そうでもない。野党の力不足もあって自民・公明の政権与党はより盤石となり、しかも与党に対する官邸の影響力は強まるばかりだ。その一方、国会では議員の資質さえ疑われる不祥事が続発し、地方議会では議員のなり手が足りない事態にも見舞われている。

名誉ある地位を

 「怒り」が支配する世界に公議の風を吹かせることが、やはり日本の使命だろう。そのためには国内政治に、公議の風がもっと吹かなければならない。意欲ある若者に政治参加の道を開こう。

 次の150年へ、維新の気概を生かす道はこのあたりにあるのかもしれない。21世紀の世界史に、日本が「名誉ある地位」を占めるための道でもあると信じる。

(2018年1月1日朝刊掲載)

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