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元カープ社長の孫 50年代の写真発見 スター来訪 復興に光 

原爆慰霊碑内で献花も

 被爆からの広島復興期を沸かせた米国の伝説的スターらの訪問を伝える写真があった。新婚のジョー・ディマジオとマリリン・モンローが1954年に広島総合球場で歓声に応え、ジャッキー・ロビンソンらドジャース一行が56年に原爆慰霊碑内で献花する。広島カープ(現広島東洋カープ)の結成に当たった伊藤信之氏(1898~1984年)が残し、ブラジルに住む孫が市公文書館へ寄せた。(西本雅実)

 大リーグ56試合連続安打記録を残すディマジオと、ハリウッドを代表する女優モンローは54年2月1日、新婚旅行で来日して話題を呼ぶ。夫はカープを指導するため新妻と11日、広島へ入り、原爆資料館の前身で基町(中区)にあった原爆記念館も見学した。

 夫妻の写真は13日、カープと呉を本拠地に発足した2軍の広島グリーンズとの初のオープン戦が行われた総合球場(西区)で撮られていた。試合前に花束を渡した振り袖姿の少女らとモンローが笑みを浮かべる。

 「モンローもお目見え」。中国新聞14日付朝刊は観客の喜びぶりを大きく報じたが、掲載写真は残っていない。

 ドジャース一行の広島訪問は日米親善野球から。当時はニューヨーク・ブルックリンが本拠地だったドジャースは55年にワールド・シリーズを初制覇していた。

 56年11月1日、カープや阪神、南海など全関西との試合前に、一行は「平和が永遠ならんことを」などと刻んだ銅板をカープ社長の伊藤氏に手渡した。今回の写真は、当時は報じられなかったチームの原爆慰霊碑内での献花を収めている。

 大リーグ初のアフリカ系選手として知られ、背番号42が全チームの永久欠番となるロビンソンも写る。銅板は翌57年完成の旧市民球場に飾られ、現在はマツダスタジアムの外野ライト席下のスポーツバーにある。

 伊藤氏は広島市の出身。鉄道省から移り、爆心地から約2キロの広島電鉄本社で被爆し、次女を奪われた原爆3日後の一部復旧を指揮。49年にカープを結成する広島野球倶楽部の理事長や55年新設の球団会社社長を62年まで担う。広島商工会議所会頭も務めた。

 一連の写真は、サンパウロ在住で孫の水馬愛子さん(69)が帰郷した折、広島市東区の旧宅で見つけた。

 「カープ運営で自宅に差し押さえがきた時は本当に困った、と祖母はよく話していました。今日の隆盛を見るにつけ、原爆に打ちのめされた市民を喜ばせたいという先人たちの苦闘が報われた思いがします」と話している。

(2018年1月1日朝刊掲載)

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