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被爆2世の田中さん+原爆開発関係者の娘 日米の心重ね 反核アート

 広島市西区出身の被爆2世で現代美術家の田中勝さん(43)=山形市=と、原爆を開発したマンハッタン計画に亡父が携わった米国の画家ベッツィ・ミラーキューズさん(67)=ニューメキシコ州=は来年8月、同州ロスアラモスで共同作品展を開く。被爆国と原爆投下国という立場を超えて平和を表現してきた二人が、原爆開発の地で初めて作品を披露し、核兵器廃絶への思いを訴える。(増田咲子)

 二人は1998年、米国で開かれた美術展で出会い、意気投合。共同制作を始めた。田中さんが撮影した写真に、ミラーキューズさんのアクリル画を重ねる手法で、99年から2009年まで、日本や米国などで作品展を開催してきた。

 ロスアラモスでの作品展は「ヒロシマ、フクシマから届ける平和のメッセージ」がテーマ。広島と長崎原爆の日を挟んだ8月5日から10日まで開催する。

 田中さんは東北芸術工科大大学院で芸術平和学を学ぶため、昨年2月末に山形市に転居。直後に隣県で福島第1原発事故が起きた。今年10月には被災者の声に耳を傾けようと福島を訪れ、放射線の恐怖と闘いながら暮らす女性や、放射性物質を吸収して伐採せざるを得なくなった梅の木、無事に育ったカボチャなどを撮影した。

 地元広島では、平和学習で訪れた子どもたちに折り鶴を乗せた紙飛行機を配っている被爆者川本省三さん(78)=西区=を撮影。こうした写真に、ミラーキューズさんの絵を合わせて完成させる。

 川本さんの作った紙飛行機には、福島の被災者のメッセージを添え、実物も展示する。田中さんは「核兵器開発の出発点となったロスアラモスで、放射線被害を繰り返してはならないという思いと平和への希望を米国人に伝えたい」と話す。

 田中さんの父は現在の西区己斐西町で被爆。ミラーキューズさんの亡父は、核物理学者として広島、長崎に投下された原爆を製造したマンハッタン計画に関わった。

(2012年11月5日朝刊掲載)

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