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社説・コラム

『私の学び』 紙ニュケーション.net 和(ノキロ)代表 立通啓子さん

異なる個性 みんないい

 折り紙はコミュニケーションを深めるツール。身近な紙を材料に、失敗しても作り直せて、自己表現もできる。1枚の紙なのに、海外の人とも親しくなれる。特に折り鶴を通して、人の輪を広げたい。

 もともと折り紙と無縁の生活。次女の住む京都を訪れた2005年秋、カルチャーセンターで数学教室を見学したのが転機に。講師で「折り紙教育を考える会」をつくった京都市の堀井洋子さんから教わり、のめりこんだ。

 正方形の紙で折った鶴を開く。折れ線の入った鶴の展開図を見て、「これが幾何学ですよ」と教わった。最初は頭の中に疑問符が湧いたが、そのままひし形、長方形の紙でも挑戦。目からうろこが落ちた。頭やしっぽがふぞろいでも、完成したからだった。

 ねじれても、ずれても鶴には変わりはない。詩人金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」という言葉のように、人も鶴も同じ。この鶴を広めることがヒロシマの心を伝えることでは、と。

 その頃、被爆地で暮らす意味を自問していた。子育てが一段落し、古里から引っ越してきたが、右膝を痛めて歩けなくなった。近くの公民館であった自分史を書く講座に参加し、あるエッセーを読んで圧倒された。原爆で息子を失った女性がしたためた文章だった。被爆者が生き抜いた重みを知り、自分はまだ経験が足りないと気付いた。

 原爆資料館のピースボランティアに参加したが、甲状腺を患い活動を断念した。堀井先生と出会えたのは、無念が募っていたその頃だ。

 気さくに惜しげもなく教えてくれる。「折り紙の楽しさが伝わればいい」と種まきを託された。07年からは広島市こども文化科学館で講座を始めた。決まった折り方は面白くない。固定観念にとらわれず教えている。

 折り鶴も七変化。紙の裏の色を出したり、羽にひだや波形を入れたり。原爆の子の像にささげられた折り鶴をバラに折り直し、毎年8月6日に開く折り鶴教室に来た人に渡している。16年に広島を訪れたオバマ米大統領が原爆慰霊碑に供えた花輪も折り紙で再現し、展示した。

 孫が4人いる。子どもたちが広島をもっと好きになる作品を考えたいと思う。(聞き手は山本祐司)

たてどおり・けいこ
 呉市生まれ、広島女学院大卒。娘2人を育てた後、夫の職場に合わせ48歳で広島市へ転居。被爆70年に市民と折り鶴タペストリーを作る。こども文化科学館で開く青少年向け講座は年3回開催。広島市中区在住。

(2018年1月8日朝刊掲載)

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