広島の女学生遺品 牛田中が紹介動画 被爆ピアノ 世界が共鳴 来日取材やCD発売
18年1月10日
原爆のため19歳で亡くなった広島の女子学生、河本明子さんの遺品の被爆ピアノを世界に発信する活動が広がりを見せている。9日、海外のジャーナリストら3人が牛田中(広島市東区)を訪れ、このピアノを英語で紹介する動画を制作した放送部を取材。マルタ・アルゲリッチさんら世界的なピアニストも活動に協力している。(西村文)
牛田中の放送部は昨年、明子さんがピアノの稽古に励んだ日々をつづった日記や、関係者への取材で構成した約9分間のビデオ作品「ショパンを愛したピアノ」を制作し、NHKの全国コンテストで最優秀賞を受賞。昨年末には英語版を完成させ、動画投稿サイトのユーチューブで公開した。
取材に訪れたのは、広島交響楽団の招きで来日している欧州の音楽ジャーナリストら。デンマークの新聞社のペーター・デュールフェルド記者は「ピアノの音色の強いメッセージに心を揺り動かされた」と述べ、2年の村田菜さん(14)は「明子さんのピアノを通じ、世界中の人々と平和について考えたい」と応じた。
英語版には、3年前に広島でこのピアノを弾いたアルゲリッチさんの映像に合わせ、本人のナレーションも新規収録された。音楽関係者を通じて依頼したところ、昨年11月、公演中のウィーンで急きょ録音した音声がメールで届いたという。
米国を代表するピアニスト、ピーター・ゼルキンさんによる演奏を収めたCDが、2月末に世界発売されることも決定した。昨夏、広響の公演に出演するために広島を訪れた際に収録。「このピアノの歌声は私たちを癒やし、生きていることへの感謝の念を表現してくれる」と称賛した。収益はピアノの保全費用に充てる。
広響も国内外の公演で、このピアノを使用する計画を進める。遺族の手を経て現在、ピアノを所有する市民グループ「HOPEプロジェクト」の二口とみゑ代表は「明子さんが伝えたかったであろう思いを、世界に響かせたい」と話している。
明子さんのピアノ
約100年前の米国製アップライト(縦型)ピアノ。戦前、米国に住んでいた河本明子さんの両親が購入し、帰国時に持ち帰った。広島女学院専門学校(現広島女学院大)3年だった明子さんは現在の広島市中区で被爆し、翌日に西区三滝の自宅で死去。被爆したピアノは両親が保管してきた。2005年、「HOPEプロジェクト」が譲り受けて修復。明子さんの半生は、広島市立学校平和教育プログラムの教材「ひろしま平和ノート」に取り上げられている。
(2018年1月10日朝刊掲載)
牛田中の放送部は昨年、明子さんがピアノの稽古に励んだ日々をつづった日記や、関係者への取材で構成した約9分間のビデオ作品「ショパンを愛したピアノ」を制作し、NHKの全国コンテストで最優秀賞を受賞。昨年末には英語版を完成させ、動画投稿サイトのユーチューブで公開した。
取材に訪れたのは、広島交響楽団の招きで来日している欧州の音楽ジャーナリストら。デンマークの新聞社のペーター・デュールフェルド記者は「ピアノの音色の強いメッセージに心を揺り動かされた」と述べ、2年の村田菜さん(14)は「明子さんのピアノを通じ、世界中の人々と平和について考えたい」と応じた。
英語版には、3年前に広島でこのピアノを弾いたアルゲリッチさんの映像に合わせ、本人のナレーションも新規収録された。音楽関係者を通じて依頼したところ、昨年11月、公演中のウィーンで急きょ録音した音声がメールで届いたという。
米国を代表するピアニスト、ピーター・ゼルキンさんによる演奏を収めたCDが、2月末に世界発売されることも決定した。昨夏、広響の公演に出演するために広島を訪れた際に収録。「このピアノの歌声は私たちを癒やし、生きていることへの感謝の念を表現してくれる」と称賛した。収益はピアノの保全費用に充てる。
広響も国内外の公演で、このピアノを使用する計画を進める。遺族の手を経て現在、ピアノを所有する市民グループ「HOPEプロジェクト」の二口とみゑ代表は「明子さんが伝えたかったであろう思いを、世界に響かせたい」と話している。
明子さんのピアノ
約100年前の米国製アップライト(縦型)ピアノ。戦前、米国に住んでいた河本明子さんの両親が購入し、帰国時に持ち帰った。広島女学院専門学校(現広島女学院大)3年だった明子さんは現在の広島市中区で被爆し、翌日に西区三滝の自宅で死去。被爆したピアノは両親が保管してきた。2005年、「HOPEプロジェクト」が譲り受けて修復。明子さんの半生は、広島市立学校平和教育プログラムの教材「ひろしま平和ノート」に取り上げられている。
(2018年1月10日朝刊掲載)