似島で掘り出されたボタン
18年1月15日
さびに映る 子どもの無念
似島で掘り出され、原爆資料館収蔵庫にある4個のボタンはさびに覆われる。被爆して運ばれた子どもの国民学校(当時)学生服のボタンとみられ、桜の花びらの模様が読み取れる=2004年収蔵(撮影・高橋洋史)
運ばれ埋められた 被爆者 生きた証し
≪無言の証人・学生服ボタン≫
原爆資料館は2004年に似島(広島市南区)で行われた発掘調査で見つかった36件の遺品を収蔵する。とりわけ学生服のボタンのざらりとした表面に悲しみがかきたてられる。持ち主は分かっていない。
地中に眠る被爆者の遺骨を掘り出してあげたい―。住民の要望から、陸軍の軍馬を検査する馬匹(ばひつ)検疫所の跡地で市が実施した調査は2カ月にわたった。推定で85人分の遺骨が発見され、原爆供養塔に納められた。ただ同時に発見された遺品のほとんどは持ち主が特定できず、原爆資料館へ。一帯は「慰霊の広場」となり、住民が花壇を造って手入れをしながら惨禍を語り継ぐ。
広島湾に浮かぶ似島には原爆投下直後、約1万人ともいわれる負傷者が運ばれたとされる。身元不明のまま亡くなる人が後を絶たなかった。火葬できず、埋められた遺体も多かった。
島で郷土史を研究する宮崎佳都夫(かずお)さん(69)の案内で、現地に立つ。近くに慰霊碑もある。犠牲者の無念に思いを巡らせた。あのボタンを身に着けていた子どもは59年にわたってここで眠っていたのだろうか。海風に乗るみぞれが体に染みた。春にはまた花壇が咲きそろい、慰霊に訪れる人々を迎える。(山本祐司)
(2018年1月15日朝刊掲載)