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証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 清水徳夫さん―爆心直下 川面覆う死体

清水徳夫(しみず・とくお)さん(86)=広島市佐伯区

姉や親友失った。急性症状にも苦しんだ

 被爆の翌日に爆心直下(ばくしんちょっか)で目の当たりにした地獄(じごく)絵図。被爆死した姉の最後。その記憶(きおく)を胸にしまっていました。86歳の今、語ろうと決めたのは「戦争はいけない」というメッセージを若い世代に伝えておこう、と思い立ったからです。

 原爆が落とされた時、清水徳夫さんは三菱(みつびし)重工業広島造船所にいました。広島市立造船工業学校(現・広島市立商業高)2年。兵士が捨て身で攻撃(こうげき)するよう設計された、海上特攻(とっこう)兵器製造に動員されていました。

 突然(とつぜん)、強烈(きょうれつ)な光が差し込み、電気ショートが発生したと思ったそうです。近くの防空壕(ごう)に避難(ひなん)すると、程なく市中心部の方向に巨大(きょだい)なきのこ雲が立ち上りました。家族を案じながら一夜を過ごし、早朝に尾長(おなが)町(現・東区)の自宅を目指しました。

 「人間とは思えないほどのやけどを負った人々とすれ違った。死体をよけながら歩いた」。民家の軒先の防火水槽(すいそう)には、水を求めて頭を突っ込んだまま息絶えた複数の死体。喉(のど)の渇(かわ)きに耐(た)えられなくなった清水さんは、死体をかき分け、水を飲みました。「こんな状況(じょうきょう)でもボウフラが浮(う)いていた。不思議だった」

 米軍が原爆投下目標にしたという相生橋の残酷(ざんこく)な光景も忘れられません。川面が見えないほど多くの死体が浮いていました。橋の上には外国人がいました。米兵捕虜(ほりょ)でした。憲兵かと思われる格好の人が傍(かたわ)らにおり、棒や石でいたぶるよう周囲に促(うなが)していました。

 必死でたどり着いた自宅は大きく壊れていたものの焼失を免(まぬが)れ、母も無事でした。しかし姉の浜田安子さん(当時27歳)が犠牲(ぎせい)になりました。

 嫁(とつ)ぎ先から実家に逃れ、神崎国民学校1年だった娘の美枝子さんを捜すうち床に伏せてしまいました。「ぜんざいが食べたい」とうわごとを言ったため、農家に頼(たの)み込んでわずかな食材を工面。炊(た)き上がった時、息を引き取りました。「食べさせたかった…」。姉を語ると、それ以上の言葉が見つかりません。

 大やけどを負った安子さんの夫も、終戦を待たずに亡くなりました。美枝子さんの行方は分からないまま。約20年前に漫画「はだしのゲン」作者の故中沢啓治(なかざわ・けいじ)さんと偶然(ぐうぜん)会い、共に校門付近にいて爆風に吹き飛ばされたと聞かされました。

 親友も失いました。造船工業学校では、現在の原爆資料館の近くに動員された1年生が全滅しました。中には「人気校にどうしても通いたい」と1年遅(おく)れで入った国民学校の同級生もいました。「何のために入学したのか」。無念を思うと、今でもつらい気持ちになります。

 清水さん自身は被爆後、髪(かみ)が抜(ぬ)けたり歯茎(はぐき)から血が出るなど急性症状(しょうじょう)に苦しみました。戦争中に父を失っていて、終戦後の食糧(しょくりょう)不足でも大変な思いをしました。線路沿いに生える雑草を摘(つ)んで食べ、ヤミ市でわずかな収入を得ました。

 1949年にもう一人の姉の嫁ぎ先だった五日市の酒店に寄せ、そこで出会った妻の故幸枝さんと長年、店を切り盛りしました。造幣支局(ぞうへいしきょく)にちなんだコイン通りの商店街振興(しんこう)組合の初代理事長を務め、地元の人たちと店の屋上に「金持稲荷(かねもちいなり)大社」を造るなど地域おこしに力を注ぎました。

 現在、孫夫婦と暮らし、ひ孫が計4人。「戦後の皆の努力があって復興した現在の広島がある。戦争だけは二度と繰(く)り返(かえ)してはいけない」。自身と広島の歩みを重ね合わせ、そう語ります。(金崎由美)

私たち10代の感想

記憶背負うつらさ知る

 お姉さんが亡くなった時のことを、声を絞(しぼ)り出すように語る清水さんの姿に胸が締(し)め付けられました。「金持稲荷」にちなむユーモアあふれるグッズについて楽しそうに話す清水さんのような人でも、つらい記憶と向き合うつらさを無言で背負っていると知りました。そのような被爆者の思いを受け止める私たちの姿勢も問われていると感じました。(高2松崎成穂)

広島復興の努力に感謝

 清水さんが繰り返した「世界は平和じゃないとね」という言葉が深く印象に残りました。平和な日本しか知らない私たち若者とは違う、体験に基づく思いがこもっていたからです。原爆で壊滅(かいめつ)した広島を、現在の緑と活気あふれる街へと復興させてきた世代の努力がどれだけのものであったかを実感し、感謝と尊敬の気持ちを持ちたいです。(高3見崎麻梨菜)

(2018年1月15日朝刊掲載)

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