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被爆すずり 持ち主判明 資料館敷地発掘 元広島市職員「僕の字」

 広島市が市文化財団に委託した原爆資料館本館(中区)敷地の発掘調査で、出土した被爆すずりの持ち主が見つかった。元市職員の今中圭介さん(81)=安佐南区。偶然、現場で発掘に当たっていた調査員が元部下で、すずりにあった名前に気付いた。今中さんは後輩に被爆前後の街の記憶を語り、継承へ、出土品や一帯の遺構の活用を願う。財団が名前が分かる出土品の本人を確認したのは初めて。

 裏面に「今中圭介」と彫られたすずり(縦13センチ、横8センチ)は2016年10月に出土。今の小学3年に当たる国民学校初等科3年を表す「初三」ともある。今中さんは今月25日、東区にある文化財団の作業室を訪問。すずりを見て「これは僕の字です。習字で使った記憶がある」と語った。

 今中さん一家は戦前、今は資料館本館が立つ旧材木町の一角に住み、米国に針や和傘を輸出する貿易商を営んでいた。「城下町の昔風の家並みの中、洋風の建物だったので目印になったようです」。中島国民学校(現中島小)初等科に通い、4年生になる1945年春に一家で八木村(現安佐南区)に疎開した。

 8月6日、市中心部の銀行に出勤した姉博子さん=当時(17)=は帰らず、焼け跡を捜し回った父圭三さんも2カ月後に49歳で逝った。材木町の自宅では管理を任せていた父の知人の妻が被爆死。今中さんは戦後勤めた市で社会教育畑を歩み、公民館長として被爆体験記集の刊行にも関わったが、自らのつらい記憶は胸にしまいこんでいた。

 72年が過ぎた昨年秋。初代館長を務めた市交通科学館で部下だった市文化財団の田村規充・主任学芸員(48)からすずりについて「実は」と電話を受け、驚いた。遊んだ中庭の池、輸出品を貯蔵し、防空壕(ごう)代わりにもなった地下室…。聞くと自宅跡が次々と出土していた。「伝えなきゃいかんと胸を突かれた」。被爆前後のことを初めて詳しく話した。

 一方、掘り出されたすずりを見てすぐに今中さんが浮かんだ田村さんも「元住民と聞いたことがなく、びっくりした」。出土した基礎の上に立っていた建物の外観や暮らしぶりが、証言と今中さんの写真から分かった。「調査を深める上で非常に貴重」。同財団が進める報告書作りに生かす。

 市は18年度、本館敷地とは別の場所での遺構公開を目指し調査を始める。「発掘で一帯の芝生や建物の下にこれほど昔のものが残っているのを示してくれた。広島を伝えるのに行政的に生かさん手はない」と今中さん。後輩たちの後押しになればと今後は記憶を語るつもりだ。(水川恭輔)

(2018年1月27日朝刊掲載)

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