×

社説・コラム

『潮流』 収蔵庫に眠る記憶

■ヒロシマ平和メディアセンター長 岩崎誠

 このところ観光客の増加で活況を呈する廿日市市の宮島にも戦争と原爆の影は残る。西広島支局に勤務し、毎日のように島に渡った十数年前、忘れ難い話を幾つも聞いた。

 その一つはある遺品を巡る家族の記憶だ。学徒動員で被爆し島の自宅に戻るが、看病のかいなく命を落とした14歳の少女がいた。母親は戦後、月命日を迎えるたびに焼け焦げた娘の制服を箱から取り出し、さすって泣いたという。「ごめんね、ごめんね、熱かったじゃろ、ごめんね」と。

 少女の弟が島を代表する伝統工芸士だ。亡き母が仏壇の脇で大切に守った制服を原爆資料館に寄贈したことを記事にした。どう活用されるかが気になったが5年後、企画展示に生かされ、ほっとした。今は再び収蔵庫にある。

 資料館には2万点を超す実物資料が託されている。家族の遺品は同じような思いが詰まっていよう。とはいえ大半は見ることはできない。工事中の本館リニューアルで実物展示は増やすと聞くが、やはり全体のごく一部だろう。

 本紙とウェブサイトで、収蔵庫に眠る無数の物語に光を当てるシリーズ「無言の証人」を、ことしからスタートさせた。寄贈資料を守るだけでなく生かすことは、もちろん資料館の責務である。被爆地のメディアとして取り組むのは今こそ風化にあらがい、原爆の被害を国内外に伝え直さなければ、との危機感からだ。

 地球最後の日まで、残りは2分―。米誌の「終末時計」の警告にがくぜんとした。核兵器を巡る情勢は切迫している。画期的な禁止条約が生まれたのに、被爆国日本ですら公然と背を向ける。手をこまねいてはいられない。

 久しぶりに、あの宮島の伝統工芸士に連絡を取った。今も毎朝、仏壇に手を合わせて母と姉に声を掛けているそうだ。核廃絶の願いの原点にある、肉親を失った痛恨。むげにすることは許されない。

(2018年2月1日朝刊掲載)

年別アーカイブ