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宇品港 軍用化の記録 広島市郷土資料館 1日から公開 全景や出兵の写真・文書

 広島の近代化と発展を促し、日本の兵員輸送の拠点ともなった宇品港(現広島港)の歩みを収めた貴重な記録を、広島市郷土資料館が集めて2月1日に公開する。1889年の築港から1945年8月6日の被爆までの多様な実情を伝える。宮内庁宮内公文書館や個人所蔵の写真や公文書類などを入手し、その多くが地元で初公開となる。(西本雅実)

 宇品港は、元薩摩藩士で東京府大書記官から1880年に広島県令(知事)に就いた千田貞暁が築港を率いた。明治政府が雇ったオランダ人技師の調査や、花こう岩の風化による土砂と石灰を混ぜた「人造石」を導入して完成させた。

 94年に起きた日清開戦の直前に山陽鉄道が広島駅まで開通し、直後に宇品港と結ぶ軍用鉄道が敷かれて出兵基地となる。広島城跡には大本営が置かれた。

 今回、市郷土資料館は、築港の経緯を記した文書類や「軍用港」としての姿を捉えた写真など、120点を超す記録を紹介する。

 その中でも注目されるのが、1904年の日露開戦の前年に明治天皇へ「宇品軍用地写真」と題して献上されていた、宮内公文書館が所蔵する全景パノラマ。水害を経て02年の修築完成を収めた写真は、軍用桟橋や被爆まで続いた陸軍運輸部の建物群を収めている。

 さらに大正期の1926年5月、摂政だった昭和天皇が訪れて陸軍運輸部バルコニーから宇品港に配列された各船を望む姿も公開する。個入所蔵のアルバムに残っていた。

 宇品港は32年に広島港と改称。商業港としての整備を進めながら軍用港の機能をさらに強める。甲府市に置かれた第一師団歩兵第四九連隊が日中戦争前年の36年、広島港から大連に向かう一連の写真もコレクターの協力を得て入手した。

 収集と検証に当たった本田美和子学芸員は「宇品港が有事の際にはどう使われたのか、戦前に進められた商・工業港としての実態を含めてビジュアルに伝えたい」と話している。

 特別展「宇品港」は3月25日まで南区宇品御幸の市郷土資料館である。

(2018年1月29日朝刊掲載)

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