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社説・コラム

『記者縦横』 平和賞 もう一つの演説

■ヒロシマ平和メディアセンター 金崎由美

 非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN(アイキャン))を代表して昨年、ノーベル平和賞の授賞式で演説したカナダ在住の被爆者、サーロー節子さん(86)。ノルウェーに滞在中、特に印象深かったのがノーベル委員会のシセ副委員長による、晩さん会のスピーチだという。

 「本人から原稿をもらったので読んでほしい」とサーローさんから電話をもらった。少々意外に思いながら一読した。まず冒頭で、受賞への祝福が社交辞令ではなく「本心だ」と強調している。そして会話のない夫婦を巡るジョーク、カントの哲学思想を縦横に語りながら、人類最悪の兵器を廃絶する目標を共有していく必要性を説いていた。

 ノルウェーは米国の「核の傘」の下の同盟国で、現政権も核兵器禁止条約には反対している。戦争倫理学を専門とするシセ氏も与党・保守党員の元軍人だ。ICANとは相いれない部分も多いはずだが、少なくとも双方向の対話へ努力する意義は率直に認めている。そこにサーローさんが感じ入ったのも分かる。

 条約への署名を求める被爆者が何を聞いても、日本のお役人や政治家は「米国の核抑止力が日本に必要」と繰り返すばかり。本気で対話する意思があるのか。核兵器廃絶を求めるという政府の主張は本心からなのか―。被爆地から東京に問い続けて、という宿題をもらった気がする。スピーチの一部を和訳し、ヒロシマ平和メディアセンターのウェブサイトに掲載する。

(2018年2月2日朝刊掲載)

ヘンリク・シセ副委員長スピーチ
(ノーベル平和賞授賞式後の晩さん会にて)

 ある男の子が祖母から贈り物をもらったので、「ありがとう」と言いました。祖母は「たいした物じゃあないのよ」と答えると、男の子はこう返しました。「僕もそう思った。でもお母さんが『とりあえず、お礼は言っておきなさい』って」。今夜はそうではありません。受賞者にはもちろん、世界の安全のためにたたかうすべての人たちに、本心からの感謝の意を述べたいと思います。

 私は、本来ならこの場にいそうにない人間かもしれません。ノルウェー・ノーベル委員会の委員としては党派性から独立した立場ですが、私個人は保守党の一員ですし、(核兵器による軍事同盟の)北大西洋条約機構(NATO)と、ノルウェーのNATO加盟を強力に支持しています。昇進は少尉止まりでしたが、元軍人でもあります。少尉はノルウェー語で「フェンリク」。響きが好きでした。「ヘンリク少尉」は「フェンリク・ヘンリク」。軍隊には押韻などの詩的センスがないと思うのなら、間違いですよ。

 このような経歴でも、いや、だからこそ私は他の委員とともに今回のノーベル平和賞を心から祝う一人なのです。理想を掲げずには、現実論の深みにはまり込んでしまうからです。私たちは明確な目標を心に留める必要があります。人類が生みだした最も破壊的な兵器は廃絶されるべきだということ。そして、(敵からの攻撃を抑止するために核兵器を持つという)「核抑止」の考えは、今は現実的かもしれないものの、「抑止」は崩れたとたんに(核兵器が使用され)非現実的になるということです。政治と法律の両面で、廃絶への具体的な道筋を見据えなければなりません。ビートルズが言う「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード(長く曲がりくねった道)」だとしても。

 哲学者カントの思想に「ought implies can(当為は可能を含意する)」があります。どんな意味でしょうか。「これは当然すべきことだ」と言ったところで、それが「不可能」ならば価値はありません。「月までジャンプすべきだ」はナンセンスだし、「トラになる」も不可能。「ヘンリク、君はノーベル化学賞を取るべきだよ」も、あらゆる想像力(カントの「構想力」)を超えた話です。では、「世界から核兵器をなくすべきだ」はどうか。望みなし、とまで言う人もいるでしょう。しかし人間の歴史は、困難だと思われた出来事の連続です。奴隷制は廃止できるか? 人類は月面を歩行できるか? 女性が男性の指導者になれるか? 信仰や世界観の違いを問わず、私たちは理想に到達するための信念を失ってはなりません。

 (核使用による世界の終わりまでの残り時間を概念的に表した)「終末時計」はこれまで以上に暗い見通しを示しています。時計の針は戻せないのか? 「スーパーマン」や「ハリーポッター」でない限り、過去に戻ることはできません。今こそ理想に向かって行動する時です。やはりノーベル平和賞を受賞した(旧ソ連の)ゴルバチョフ氏とレーガン元米大統領が1980年代に(歴史的な核軍縮交渉を)行ったように、人類が結集して取り組むのです。米国の政治家、とりわけ保守派はレーガンの言葉なら喜んで受け継ぐでしょう。「一体なぜ、このような兵器がいまだ捨て去られていなかったのか?」と語った人たちに続くべきです。

 1980年代の映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」シリーズで、マイケル・J・フォックス演じるマーティー・マクフライが2015年と呼ばれる未来へ旅します。空飛ぶスケートボードに乗り、なんと公衆電話ボックスに行くのです。将来の世界の姿を、私たちはほとんど知らないのです。明らかなのは、常に対話が必要だということだけ。「妻とは半年間も会話がない」と明かす人が交わす類いの対話ではありませんよ。双方が話し、耳を傾ける対話です。

 この場を借りて、ここにいてほしかった2人に私の言葉をささげたい。一人は2月に他界したノーベル賞委員会のクルマン前委員長です。世界で最も危険な兵器の規制や禁止に国際法を生かすことに熱心でした。もう一人は人権活動家の故劉暁波氏。自由と平和に基づく人間の尊厳、という究極の目標のために闘った人です。

 最後に、イタリアの詩人ダンテの「神曲」について。ダンテを(天国の地獄の間である)煉獄の山の頂上から、天上界へと導いたのが(ICANを代表してノーベル平和賞を受けたベアトリス・フィン事務局長と同じ名前の)ベアトリーチェでした。ローマ詩人ヴェルギリウスは、ダンテを地獄の恐怖から煉獄山の浄罪まで案内できましたが、さらに天界へ至るにはベアトリーチェの導きが必要だったのです。永遠の楽園を地球上に造ることなどできませんが。将来世代のため、私たちは「(煉獄山の山頂にある)地上楽園」に近付くならできるかもしれません。少なくとも、導き役のベアトリーチェとともに、サーロー節子さんをはじめ彼女の素晴らしい仲間がいる、というのは私たちにとって良い出発点でしょう。

 最後にもう一つ。あるパイロットが極端に神経質になっていました。初めて着陸を試みる空港である上、滑走路が非常に短かったためです。彼女は着陸時に全力でブレーキを掛けました。機体がぴたっと止まり、「本当に短かった」と安堵すると、副操縦士は言いました「あら、この滑走路、横幅の方がめちゃくちゃ長い」。

 皆さん、私たちは目の前にある悲観的なものばかりを見てしまいがちです。そうではなく、可能性の幅の広さに目を向けましょう。

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