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証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 笠岡貞江さん―大やけどした父 みとる

笠岡貞江(かさおか・さだえ)さん(85)=広島市西区

母は骨のかけらに。修学旅行生らに語る

 笠岡(旧姓平岡)貞江さん(85)は、爆心地から3・5キロの江波町(えばまち)(現中区)の自宅で被爆し、原爆に父母を奪(うば)われました。実家に今も残る当時の門は「両親が生きた証しと、2人を奪った原爆への怨念(おんねん)」だと、兄の吉太郎さん(92)が守ってきました。

 天気が良かった1945年8月6日。父の品次郎さん(当時52歳)と母のキチさん(同49歳)は知人の建物疎開(そかい)作業を手伝うため朝早く、雑魚場町(ざこばちょう)(現中区)へ出かけました。進徳高女(現進徳女子高)の1年生だった笠岡さんは、家庭待機の日。祖母と留守番をしていました。

 庭で洗濯物(せんたくもの)を干し終え、部屋に入った時です。ピカーッとオレンジ色に光り、次の瞬間(しゅんかん)、窓ガラスが粉々に壊(こわ)れてどっと降りかかってきました。とっさに伏(ふ)せましたが、頭を触(さわ)ると手にぬるっと血が付いていました。急いで祖母と防空壕(ぼうくうごう)へ避難しました。

 爆心地から約1キロの雑魚場町にいた両親のことが心配です。夕刻になり、父親が大河(おおこう)地区(現南区)の親戚(しんせき)宅に避難している、という知らせを聞き、たまたま進学先の大阪から帰省していた吉太郎さんが迎(むか)えに行きました。

 翌朝、大八車に乗せられて帰宅した父親は全く別人のようでした。顔がはれ上がり、全身が真っ黒。少し触るとずるっと皮がむけて赤い身が見えました。「キチと逃(に)げよったが途中ではぐれた。捜(さが)してくれ」。その言葉で、やっと父だと分かるほどでした。

 化膿(かのう)した皮膚(ひふ)にはうじが湧きました。お酒が大好きだった父親のために、笠岡さんは蔵に隠(かく)していたビールを飲ませようとしましたが、口からこぼれ落ちるだけ。うわごとを言ったり、がたがた震えたり、2日間苦しんだ末、8月8日の晩に息を引き取ります。近くの砂浜に穴を掘(ほ)り、木切れを集めて火葬(かそう)しました。

 母の行方はすぐには分かりませんでした。9日朝、似島の検疫所(けんえきじょ)の救護所にキチさんがいる、という知らせが入り、すぐに吉太郎さんが向かいました。しかし既に火葬されていて、笠岡さんが再会した母親は、兄が持ち帰った小さな紙の袋(ふくろ)に入った骨のかけらでした。

 戦後は、吉太郎さんが通っていた商船学校を辞めて海上保安部で働き、笠岡さんやきょうだいを育て上げました。毎日、生きることに必死で、笠岡さんも時々、港で拾ったカキや、イチジクの実などを売ったそうです。

 学校の友達とは、自然と親の話を避(さ)けるようになりました。それでも「私には祖母や兄がいたけれど、身よりのない原爆孤児(げんばくこじ)は、寒い日も外で寝(ね)て、もっと悲惨な生活をしていた」と振り返ります。

 戦後、別の学校に入り直して卒業し、広島県庁に就職。24歳で被爆者の男性と見合い結婚(けっこん)して1男1女を授かりました。ところが原爆の後遺症(こういしょう)があったのでしょうか。子どもがまだ幼い頃、夫は他界しました。

 しかし周囲の支えで子育てと県職員としての仕事を両立し、生き抜きました。その恩返しにと長年、地域のガールスカウトの活動を支え、2005年からは広島市の被爆体験証言者として、修学旅行生らに体験を語っています。

 「死にたくて死んだ人は一人もおらん。原爆が命と一緒に夢も希望も未来も奪っていった」。原爆について、そう語ります。戦争の悲惨さと、人を愛する大切さを、子どもたちに訴(うった)えています。(桑島美帆)

私たち10代の感想

家族との日常生活 大切

 戦後一番つらかったことを聞くと、笠岡さんは「当時は先のことは考えられなかった」と話す一方、家に帰った時に「おかえり」と返事をしてくれる親がいなかったことが、とても悲しかったそうです。自分も両親が死んでしまったらどうしていいか分からず、ずっと泣いているかもしれません。かけがえのない親や弟との日常生活を大切にし、身近な人にきちんとあいさつをすることから心掛(こころが)けようと思います。(中3伊藤淳仁)

思い継いで行動したい

 黒焦(こ)げになったお父さんの話が特に印象に残っています。笠岡さんの証言を元に基町高生が描いた絵も見せてもらいました。めくれ上がった唇や飛び出た眼球が鮮明(せんめい)に描(えが)かれ、恐(おそ)ろしさが伝わってきました。自分に置き換(か)えて想像しましたが、実感が湧(わ)きません。同じ経験をしてほしくないという笠岡さんの思いを受け継ぎ、僕らが率先して核なき世界へ向けて行動を起こさなくては、と強く感じました。(高2岩田央)

(2018年2月6日朝刊掲載)

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