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連載・特集

再評価進む四国五郎 シベリア抑留の画文集「わが青春の記録」公刊

極寒の地で反戦の「学び」も

 没後4年、相次ぐ回顧展や評伝の刊行などで再評価が進む画家の四国五郎(1924~2014年)。戦後の広島で原爆詩人の峠三吉らと協働した「反戦・平和」の画業で知られるが、それに先立つ戦時下の青年期、特にシベリア抑留の体験を克明に記した私家版の記録が書籍として公刊され、反響を呼んでいる。(道面雅量)

 48年11月、3年余りの抑留を経て帰国した四国が、49~50年にまとめた画文集「わが青春の記録」。シベリアでひそかにメモし、靴に隠して持ち帰った「豆日記」などを頼りに、記憶が鮮明なうちに集中的に書き上げた。広島市内の旧宅で見つかり、研究者らが読み解いてきた。

 部数限定の復刻出版を多く手掛ける三人社(京都市)が、その貴重さに注目。約千ページの原著を複写し、解説や年譜を付して刊行した(初版220部、5万1840円)。三人社によると「海外の大学などから予想以上の反応がある」といい、重版を見込む。

絵日記スタイル

 記述は出生地の椋梨(現三原市大和町)の思い出に始まり、20歳での徴兵、旧満州(中国東北部)での敗戦までが前半。後半はシベリア抑留の記録が占める。ほぼ全ページが、スケッチと文章を組み合わせた絵日記のスタイル。解説を寄せたシベリア抑留者支援・記録センター(東京)代表世話人の有光健さん(67)は「シベリアから持ち帰られた映像記録が極めて乏しい中、情報量、リアリティーは圧倒的」と評価する。

 例えば、最初に抑留されたフルムリの収容所内の食事風景の描写。「一つ二つなぐられたってそれは問題ではないのである 喰(く)えばよい 喰えばよいのである 一つぶのめし 一カケラのパン 一さじのスープが多く自分の喉を通過すればよいのである だから パンを切るとき みんなの目は猛獣のするどさをもってランランと光り」…。

 生々しい感情も交えた文と、目だけが異様に鋭い抑留者群像を捉えた絵が響き合う。

高揚感と使命感

 興味深いのは、極寒と飢え、労務に耐えたシベリアでの日々を「わが青春」と表現したことに示される、抑留の多義性の証言でもあることだ。四国は収容所で発病、看護された病院などで、当時のソ連が掲げた社会主義の理想にも触れ、自らを縛ってきた軍国主義を相対化していく。

 収容所でも旧軍隊内の序列にしがみつき、専横を続ける将校らを批判する「民主運動」に参画。演劇や文芸、ポスター制作などを通じた運動の進展に、帰国を遅らせてまで熱を注いだ。その描写には高揚感と使命感、せきを切ったような創作の喜びがあふれる。

 有光さんは「今の目で『ソ連に洗脳されただけ』と突き放すのはたやすいが、記録から伝わる筆者の素直さ、すがすがしさは、他のシベリア回想記と比べても異色」とする。四国は画家として、ソ連流の色彩感覚やリアリズムの押しつけに感じた反発も率直に記している。

 刊行に協力した四国の長男、光さん(61)=大阪府=は、「もの静かだった父が少年時代の私に何度も言い聞かせた言葉」を回想し、本書に寄せた。

 「そんな小さい事で怒るな。悪い人間は色々おるが、世の中には本当に悪い奴(やつ)というのがおる。それは戦争を起こす奴だ。そういう戦争を起こす奴に対して、本気で怒れ」―。

 「父にとってシベリアは地獄であり青春であり、学びの場だった」と光さん。四国が戦後、復員した被爆地広島で反すうし、画業に込め続けた命懸けの「学び」。その原初の息吹をとどめる本書は、私的な記録であることを超えて今への問い掛けに満ちる。

(2018年2月16日朝刊掲載)

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