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被災者 息長くケア 医師派遣続ける広島大病院 受診橋渡しや社会復帰

 広島大病院(広島市南区)が、東日本大震災の被災地で息の長い支援を続けている。原発事故があった福島県へ直後から医師を派遣。今も3カ月交代で1人ずつを現地の医療施設などに出向させている。被災者と向き合う医師たちは何を見つめ、胸に刻むのか。その声に耳を傾けてみる。(奥田美奈子)

 消化器・代謝内科の医師、藤野初江さんは昨年10~12月、福島県立医科大に応援に入った。任されたのは原発にほど近い双葉郡出身者への健康指導だ。避難生活が長引く中、糖尿病などで治療が必要なのに通院を拒み、病状の悪化が懸念される人たち―。地元の保健師と共に訪ね歩くうち、患者の心細い胸の内が見えてきた。

 「見知らぬ土地で、どの病院へ行けばいいか分からない」「主治医と話がかみ合わない。地元の先生の方が良かった」「仕事探しが先。通院している場合ではない」…。

 学校の体育館から仮設住宅、復興公営住宅へと居場所を移すうち、かかりつけ医を失い、医療から取り残されている被災者が大勢いると知った。「住民と地域医療が再び信頼関係で結ばれるよう、橋渡しを続けるしかない」と藤野さん。県立医科大によると訪問先の7割が受診に前向きな姿勢を示すなど一定の成果が出ているという。

 広島大病院は震災直後から、緊急被曝(ひばく)医療に携わる延べ1300人を派遣してきた。2016年4月に「福島医療支援センター」を院内に設け、支援継続の姿勢を強調。同年10月から内科医1人を交代で送り込む。藤野さんは、その一員だ。さらに、ことし5月には救急医1人の派遣も始める。

 集中治療部の医師板井純治さん(35)が出向くのは、昨春避難指示が解除された双葉郡の富岡町。町民が普通の暮らしを取り戻すために、県が4月に新設する病院へ応援に入る。帰還住民のための町づくりは始まったばかり。「7年を経た今なお、支援の必要があることに改めて気付かされた」と話す。

 板井さんは、14年の広島土砂災害を思い起こす。災害医療では、急性期を乗り越えた後のケアも重要だった。住み慣れた家を失い、リハビリや社会復帰をどう進めていくかの展望を描きにくい患者がいた。当時の経験を踏まえ「救命から社会復帰まで切れ目のない医療体制を整え、住民の皆さんを支えたい」と決意を固めている。

(2018年3月12日朝刊掲載)

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