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山縣選手の曽祖父宅か 原爆資料館展示「被爆時の地表面」 広島市文化財団が調査

「遺品」資料に重み

 広島市の原爆資料館本館(中区)敷地の発掘調査で出土し、同東館で展示されている「被爆時の地表面」は、原爆投下前に刃物商を営んでいた山縣貞一さんの自宅跡の一部とみられることが市文化財団の調査などで分かった。貞一さんは、リオデジャネイロ五輪陸上男子400メートルリレー銀メダルの山縣亮太選手(25)=セイコーホールディングス、修道高出身=の曽祖父で、自宅で被爆死した。地表が「遺品」である実態が浮かび上がり、財団は「一層重みが増す」とする。(水川恭輔)

 地表面は地下約75センチから見つかり、縦70センチ、横104センチ。建物が爆風で押しつぶされて高熱火災に遭った痕跡とみられ、黒く炭化した木製のしゃもじや金属製の台所用品が見える。市が2016年3月、旧中島地区(現平和記念公園)の壊滅を象徴する実物資料にするため切り取り、17年7月から展示している。

 市文化財団によると、不明点が多かった発掘地点の被爆前の様子が分かってきたのは、近くで出土した被爆すずりに名前があった元住民の今中圭介さん(82)=安佐南区=から証言や写真を得た17年秋。出土した建物の基礎の並びから今中さん宅跡の位置が確定し、地表は被爆前の街並み復元図で山縣さん宅となっている北隣の建物跡の一部だと分かった。財団は「地表は山縣さん宅跡のものの可能性が極めて高い」とみる。

 73年前、山縣さん家族は貞一さん=当時(51)=と妻と子ども5人。郊外への疎開を進めていたが、8月6日は自宅に戻っていた貞一さんと学徒動員で建物疎開作業に出た次男俊彦さん=同(16)=が被爆死した。貞一さんの遺骨を確認した次女の故吉本ノブさんは生前、中国新聞の特集「遺影は語る」の取材に「首から上だけが地面に出ていた父の亡きがらを見てひざが震え」と悲惨な記憶を語っていた。

 貞一さんの孫で、亮太選手の父浩一さん(58)=西区=は、「遺品」とみられる地表の展示を「家族にとっては見るのがつらいものだが、被爆前の街とそれを奪った原爆の実態を伝えるためならば、生かしてほしい」と話す。次男の亮太選手の帰省時には、できるだけ家族で貞一さんたちの墓参りをしてきたという。

 旧中島地区はアニメ映画「この世界の片隅に」で描かれ、多くの来館者が被爆地表面などの出土品の特別展示を見学している。反響を受け、市は、当初は今月末までとしていた展示を4月以降も続ける方針。市文化財団は「出土品に刻まれた暮らしが分かれば、原爆に奪われたものの大きさがより伝わる。ほかの出土品についてもさらに調査を進めたい」としている。

原爆資料館本館敷地の発掘調査
 本館の耐震化で地中に免震装置を取り付ける前に、民家や商家、寺院が立ち並んでいた被爆前の旧中島地区の街並みの遺構を記録するため、広島市が市文化財団に委託して実施。2015年11月~17年3月に約2200平方メートルを対象に発掘を進め、建物の基礎や生活用品などが出土した。財団が19年度末までに報告書をまとめる。

(2018年3月18日朝刊掲載)

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