×

ニュース

飯舘村の復興 研究者と探る 福島でシンポ 

 福島第1原発事故の影響で全村避難が続く福島県飯舘村。住民の目線に立ち、村の現状と復興の道筋を探ろうと18日、研究者たちによるシンポジウムが福島市内で開かれた。事故から約1年8カ月。国の対応や科学者の説明への不信感が住民に根強い中、被災地に寄り添う支援を探る試みでもある。(山本洋子)

ヒロシマに期待大

 「本当に村に戻れるのか疑心暗鬼だ」。村民30人を含む約160人の参加者を前に、農業菅野哲さん(64)は静かに訴えた。

 国は7月、村内で年間被曝(ひばく)放射線量が50ミリシーベルト超の「帰還困難区域」、立ち入りは可能な「居住制限区域」、「避難指示解除準備区域」に再編。村は避難解除の見込みを、区域ごとに「事故後3~6年」とする方向で国と合意した。

 だが解除の前提として国が最優先する除染の効果を菅野さんは疑問視する。「まだ実験段階。確証なく村へ帰すのは信じられない」

家族が「分断」

 戻りたい、戻れない―。見えない放射能と不確かな健康影響、古里への思いで村民は揺れる。約1700戸だった世帯数は今や3千超とほぼ倍増。「高齢者は仮設、若者世代は借り上げ住宅へ。五つに引き裂かれた家族もいる」(菅野さん)。後手後手の政府の避難指示が、深刻な「分断」を生んだと指摘した。

 シンポは、支援や調査を続ける研究者やジャーナリストが9月に設立した「飯舘村放射能エコロジー研究会」が企画。研究者の専門は都市計画や原子炉工学、原爆・被曝研究など多彩だ。日本大生物資源科学部の糸長浩司教授は「村民は情報に振り回されてきた。冷静で多角的な議論が必要だ」と説明する。

 糸長教授が提案したのは、長期避難を見据えた「移住」と将来の帰還に向けた「還住」の道筋づくり。アンケートを基に「一戸建て住宅に集団移住する仕組みや、2カ所居住の権利を保障する法律が必要だ」と強調した。

 除染の効果、低線量被曝の健康影響が不透明な中、コミュニティー機能と絆の維持を優先すべきだという視点は菅野さんと同じだ。

寄り添う姿勢

 「10年程度のスパンでじっくり考えるべきなのか」。参加者の村民から質問が飛んだ。

 広島市中区出身で京都大原子炉実験所の今中哲二助教が「放射線量が落ち着くのは10年後。帰還の判断はここからでは。除染優先は性急だ」と指摘したからだ。今中助教は「どれだけの線量なら戻るのか。時間をかけて話し合うことが重要だ。一方的な線引きでは解決しない」と答えた。

 今中助教は事故直後から、広島大大学院工学研究院の遠藤暁准教授らと汚染の調査を続ける。「国や科学者は被曝の実態を隠している」という村人の不信感を共有してきた。

 被爆地に学び、住民が事故後の詳細な行動を記録できる手帳作りなどを進める村の佐藤健太さん(30)は「継続的な活動で寄り添う姿勢に励まされる」。既に今中助教と遠藤准教授は初期被曝の実態解明の研究を、糸長教授は大規模な村民アンケートを進めている。

 参加した市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の森滝春子さん(73)=佐伯区=は「村民と研究者が信頼関係を基に対話する姿に感銘を受けた」と評価。シンポ後の交流会で「被爆地広島への期待も強く感じる。つながることから始めたい」と呼び掛けた。

飯舘村の全村避難
 福島第1原発の北西約40キロに位置し、昨年4月、村全域が計画的避難区域に指定された。今年11月1日現在、広島県への9人を含めて福島県外への避難者は522人。県内と合わせた避難者は約6700人。8世帯13人は避難を拒否している。

(2012年11月26日朝刊掲載)

年別アーカイブ