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広島都市学園大・河野学長 学会講演 科学の生んだ悲劇 訴え

原爆に消えた医院

 爆心直下の中島本町に、「阿戸医院」はあった。広島大名誉教授で、広島都市学園大の河野修興学長(65)の祖父が、そこで育った。4月13日から京都市で開かれる日本内科学会総会・講演会で会長を務める河野さん。広島の復興と医学をテーマにした会長講演で、原爆で消滅した医院と一家の歴史について触れる。

 医院は中島本町の北端に当たる慈仙寺鼻にあった。軍医だった祖父遠二さんはその地で開業していた伯父の養子となる。自宅を併設した医院一帯は旅館や寺院、カフェなどが並ぶ、にぎやかな繁華街だった。

 親類が医院を継いでいたが、原爆で街ごと消え、現在は平和記念公園の一角。河野さんは広島で写真館を経営していた故松本若次さんが1938年に撮影した中島本町一帯のパノラマ写真に祖父の実家の医院らしい建物が写っていることを知り、講演で使うことにした。

 内科医となった河野さんは放射線影響研究所を経て母校の広島大に戻り、竹原市大久野島の毒ガス障害者の治療にも携わった。講演では医院や街が一瞬で破壊されたことや、国内外の支援で広島が復興を遂げたことを振り返る。約3500人の内科医が集う場で「人間の科学技術が生んだ原爆が人間を殺りくし、街を破壊した。世代が変わっても教訓として生かすべきだ」と医師の倫理の大切さを訴える。(桑島美帆)

(2018年3月26日朝刊掲載)

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