×

ニュース

「希望 エスポワール」復刻 学生が創刊 広島発の文化総合誌

 終戦直後、広島の学生たちが創刊し、全国に広がった文化総合雑誌「希望 エスポワール」が復刻された。広島文理科大(現広島大)や広島女子専門学校(現県立広島大)の学生たちを会員に文化サークルの機関誌として誕生。後に拠点を東京に移し、安部公房、加藤周一、木下順二、野間宏たちをスタッフライターに迎え、全国的な雑誌に成長した珍しい例だ。

 1948年、旧制広島高校の河本英三たちが、自由な芸術活動を求めて「エスポワール文化サークル」を結成。その活動で同年11月、「ESPOIR」を創刊し、詩や俳句、座談会「杉村春子をかこんで」、映画評などを掲載した。49年10月の3号では反戦創作特集を組んでいる。広島での発行は4号まで続いた。

 河本は東京大進学後の52年1月、東京で新たに「ESPOIR」1号を発行。編集後記に「原爆を意識的契機」として広島で生まれ―などと明記し、出発点である広島時代の精神を受け継ぐことをうたっている。誌名を2号から「希望 エスポワール」と変更(副題は仏語表記)。全国の大学や文化サークルと連携して活動を広げた。中国新聞社の論説主幹だった金井利博や、梶山季之、佐々木基一たちも執筆した。

 河本たちは講演や映画の会を開いて「希望」を販売する活動を続けたが、資金難のため55年7月、11号で幕を閉じた。

 復刻版は東京時代の11冊を1~3巻、広島時代の4冊を別巻の、計4巻に収録した。発行当時、編集スタッフだった、詩人の高良留美子が詳しい解説を寄せている。

 広島市中区の市中央図書館は、広島時代の「ESPOIR」と東京での「希望」の一部を所蔵しているが、全巻は残っていない。当時、広島では「エスポワール文化サークル」をめぐるさまざまな出版の動きがあり、復刻は全体を見直す意味でも意義がありそうだ。

 三人社(京都市)刊、A5判、9万6千円。Tel075(762)0368。=文中敬称略(串信考)

(2012年11月27日朝刊掲載)

年別アーカイブ