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社説・コラム

『潮流』 桜をめでる平和

■論説委員 藤村潤平

 桜がまぶしい。広島市の平和記念公園も大勢の花見客でにぎわっている。親子連れや若者、中高年のグループが敷物を広げ、くつろぐ光景に、ここが憩いの空間であると改めて思い知る。その半面、原爆の犠牲者を慰め、世界の平和を祈る場にふさわしくないとの声も一部にある。

 厳粛な空気を求めるようになったのは、半世紀前の1967年に就任した山田節男市長が唱えた聖域化構想に始まる。以降、デモや集会で使うことを原則認めず、露店を追い出すなど少しずつ規制を強めてきた。

 最たるものが芝生広場への立ち入り禁止だろう。82年に柵が設けられ、芝を張り替えた95年4月からは警備が厳しくなり、全く入れなくなった。今使うのは8月6日の平和記念式典と5月のフラワーフェスティバルの花の展示だけである。

 かつては誰もがあの場所で寝転がったり、ハトに餌を与えたりしていた。それが粛然としたイメージが定着し、だんだん思い出せなくなっている。わずか20年余り前のことなのに。

 その間で唯一の例外が、被爆60年に開かれた平和コンサートだった。オーケストラの演奏などは好評で、「もっと活用すべきだ」という声が広がった。市が翌年まとめた方針では「開放について検討する」とまで踏み込んでいた。

 だが、その後は具体化していない。市が3年前に改定した内規では、芝生広場の使用許可について「慎重に取り扱う」「必然性が認められる事業」などと記し、ハードルを上げている印象がある。むしろ聖域化が進んだのではないか。

 聖地の意識が強まると、花見客を「不謹慎」とする風潮が広がらないか心配になる。設計した丹下健三は、公園を「平和を創り出すための工場」に例えた。どんちゃん騒ぎは論外だが、桜をめでる市民もまた平和の一部と思いたい。

(2018年3月31日朝刊掲載)

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