×

ニュース

「<近代都市>広島の形成」 広島の「近代」 地方の視座で 広島大大学院の布川教授刊行

軍都の形成 今に重ね分析

 広島大大学院総合科学研究科の布川弘教授(60)が、「<近代都市>広島の形成」(写真・吉川弘文館)を刊行した。「軍都」として国家に奉仕することで都市整備を進めた戦前の歴史を詳述しつつ、そうした中央集権体制に組み込まれる以外の道もあり得たことを、地方の視座で示す。

 闘病中の著者に代わって同僚たちが編集。日本の近現代史とともに平和の問題を広く論じてきた研究が結実した。

 2部構成のうちの後半、幕末から太平洋戦争までの広島の歴史を概観した「片隅から見た日本の近代」に、著者の問題意識が集約されている。1866(慶応2)年の幕府による第2次長州戦争以来、広島は兵士や物資を集積し、戦地へ送り出す拠点となった。明治維新後、旧陸軍第5師団が置かれ、日清・日露戦争を経てアジア侵略の基地を担った。

 この間、山陽鉄道(現JR山陽線)や宇品港(現広島港)、上水道などの都市インフラが急速に整備される。こうした発展には陸軍の意向が決定的で、「郷土の自主性がまったく問題にならなかった」とする。

 一方で本書が注目するのが、廃藩置県をきっかけに県内各地で農民が蜂起、鎮圧された71(明治4)年の「武一騒動」をはじめ、上からの近代化に頼らない自立的な変革の芽だ。騒動の嘆願書に、農民自身が国防を担うとする新時代の自覚を読み取る。

 「片隅から見た―」という第2部のタイトルは、一主婦の視点で戦争を描いたアニメーション映画「この世界の片隅に」から想を得た。その逸話にも、中央集権的な歴史認識を揺さぶる狙いがうかがえる。

 また、戦後の広島が抱える矛盾に言及した終章の筆は鋭い。原爆で壊滅的被害を受けた広島は、1949年制定の広島平和記念都市建設法により、「平和都市」となることで国の支援を得て復興を果たした。国家的な役割を引き受けることで成長するその構造は、戦前と重なる。特に当初は、「原爆投下が平和をもたらした」とする米国、つまり当時の中央権力の価値観を行政レベルでは丸のみした―と指摘する。

 「『それは所詮(しょせん)レトリックだから』と軽く見る傾向がなかったであろうか、あるいは、現在そういう傾向がないだろうか」。戦前の総括が不十分なまま平和を唱える危うさへ、そう警鐘を鳴らす。

 布川教授は神戸大大学院などで学び、96年に広島大に着任。著書に「平和の絆 新渡戸稲造と賀川豊彦、そして中国」などがある。

 「<近代都市>広島の形成」は282ページ、1万800円。第1部には、旧陸軍歩兵第41連隊の福山転営を扱った論考などを収めている。(城戸良彰)

(2018年4月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ