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社説・コラム

『潮流』 被爆地の土産

■ヒロシマ平和メディアセンター長 岩崎誠

 「うちに珍しいものがあった」。宮島の旅館経営者から電話をもらったのは14年前のことだ。見に行くと「S・Hamai」とサインが焼き付けられた小ぶりな花瓶。「原子焼」と題した日英の説明文が木箱に入っていた。爆心地付近の土砂を混ぜて焼いたのだ、と。

 サインの主は広島市長を務めた故浜井信三氏。1948年の本紙記事で正体が分かった。進駐軍や市役所を訪れる外国人に贈る土産物として、市が作らせたらしい。現物が一つも残っていなかった幻の陶器が宮島にあったのは、進駐軍関係者がよく足を運んだからだろう。記事にするとともに「市に寄贈を」と勧め、今は原爆資料館が所蔵する。

 その資料館で始まった新着資料展で「原爆焼」の茶わんを初めて目にした。こちらは50年ごろ備後の神辺にあった「広島原爆記念会」が同様に爆心地付近の土を入れて焼いた。外国人向けというより、全国に復興支援を呼び掛ける狙いがあったようだ。

 趣旨は違えど、原爆の爪痕がまだ生々しい時期に爆心地の土を日用品に入れた意味は何か。手に取るたびに惨状を想起してほしい、との願いがあったのは確かだろう。

 かつて「原爆1号」と呼ばれた故吉川清さんが原爆ドーム近くでさまざまな土産物を売ったことは知られている。現代のヒロシマ土産が気になり、原爆資料館のショップをのぞいてみた。来館者数が右肩上がりの外国人も意識したグッズは以前より相当に充実している。折り鶴のバッジ、原爆の子の像をかたどるマグネット、各種Tシャツ…。

 市が後押しし、平和発信をテーマに広島土産をブランド化する動きもある。願わくは手にした旅行者が、いつまでも被爆地の記憶を心に留めてもらえたら。その意味では軽い感覚の商品もいいが、原子焼のような強烈なメッセージ性も悪くない気がする。

(2018年4月12日朝刊掲載)

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