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禎子さんの鶴 母校に託す 幟町小級友きょう形見寄贈 新設の平和資料室向け

 広島で被爆し、白血病のため1955年に12歳で亡くなった佐々木禎子さんが病床で折った鶴1羽を、幟町小(広島市中区)時代の級友で南区の理容業、空田寛美さん(75)が保存していたことが分かった。級友たちに形見として配られた折り鶴で、23日に同小に寄贈する。(増田咲子)

 この折り鶴は赤色で、高さ3・8センチ。空田さんが葬儀の際、禎子さんの遺族から20羽近くの折り鶴を受け取ったうちの1羽という。

 当時、もらった折り鶴は禎子さんの話を聞きに来た人たちに分けて数が減り、88年に残っていた1羽を別の同級生の分と合わせて原爆資料館(中区)に寄贈した。その後、折り鶴を納めていた仏壇を整理していて「最後の1羽」を見つけたという。

 これまで手元に置いてきたが、母校の同小に「のぼり平和資料室」が新たに開設されることを知り、託そうと思い立った。

 58年の「原爆の子の像」建立のきっかけとなった禎子さんが折った鶴は千数百羽とされる。129羽は原爆資料館が所蔵している。そのうち同級生がもらった「形見」は19羽しかなく、新たに現物が確認されるのは珍しい。

 平和資料室は5月12日にオープンし、55年の同小の卒業アルバムなどを展示する禎子さんの特集コーナーもできる。空田さんは「禎子さんが『生きたい』と願って一生懸命に折った鶴を子どもたちに見てもらい、命の大切さや戦争の悲惨さを感じてほしい」と願っている。

(2018年4月23日朝刊掲載)

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