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社説・コラム

社説 憲法論議の現在地 礎の民主主義 築き直せ

 日本国憲法の施行から、きょうで71年となった。戦後日本は、憲法の三大原則である国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の下に再出発した。私たちが自由や平等を保障され、幸福な暮らしを送る権利があると主張できるのも、この憲法があってのことだろう。

 1年前の憲法記念日、自民党総裁である安倍晋三首相が「2020年を新たな憲法が施行される年にしたい」と表明した。自民党は、9条への自衛隊明記、教育の充実、緊急事態条項の新設、参院選挙区の「合区」解消の4項目で改憲の条文案をまとめた。「日程ありき」で論議を急いだ印象は否めない。

 しかも、礎の民主主義を揺るがす事態が相次いでいる。憲法の在りようを慌てて論じなければならないような状況なのか、いま一度考えたい。

平和主義は決意

 実力組織の暴走を許さない文民統制(シビリアンコントロール)の機能を危惧する事態が起きている。イラク派遣部隊の日報問題を追及する野党の国会議員に対し、幹部自衛官が先月、「国益を損なう」などと暴言を吐いた。制服組トップが昨年、自衛隊明記案を「一自衛官として申し上げるなら非常にありがたい」と述べたこともあった。

 9条は、世界でもまれな「戦力不保持」をうたう。戦前の日本は軍部の暴走を許し、国民は大きな犠牲を強いられた。その反省に立った上での平和主義である。理想の追求というより、むしろ民主国家としての決意であることを忘れてはならない。

国民ないがしろ

 防衛省内で、現行の9条や文民統制が尊重されていないのではないか。それでは、自衛隊明記の改憲案を議論のテーブルに載せることすら許されまい。

 森友学園問題を巡る公文書改ざんも、憲法に関わる重大な問題だ。国権の最高機関である国会に提出された文書が、政府に都合良く書き換えられた。国民の代表である国会議員は、改ざん文書を基に1年近く審議を続けていた。まさに国民主権がないがしろにされたのである。

 安倍政権が昨年、憲法を無視するような振る舞いをしたことも思い出される。野党が憲法53条に基づき臨時国会の召集を求めたのに、安倍政権はその要求を約3カ月放置した上に、開会冒頭で衆院を解散した。憲法の精神を軽んじるような政治がまかり通る中での議論は危うい。

 そんな状況に国民は厳しい視線を向けている。共同通信が先日実施した世論調査で、安倍政権下での改憲に6割が「ノー」を突き付けている。首相自身が疑惑の渦中にある加計学園問題などの真相を解明し、憲法に誠実に向き合わなければ、国民の理解は到底広がらないだろう。

 世論調査では、自民党が改憲を目指す4項目全てで「反対」や「不要」の否定的意見が多数だった。説明不足があるかもしれないが、そもそも必要性や緊急性という説得力を伴っていないことが大きいのではないか。

有権者にも責任

 政治不信が高まり、内閣支持率も下降気味の中で、与党の公明党や改憲に前向きな日本維新の会からも憲法論議に消極的な声が出始めている。

 とはいえ、改憲勢力は衆参両院で3分の2以上を占めている。安倍政権が外交などで成果を上げて支持率が回復すれば、国会発議まで一気に進む可能性も考えられる。

 憲法がどうあるべきかは、政治の世界では完結しない。最後に決めるのは、私たち有権者である。そのために国民投票がある。もし発議すれば、国会は憲法をなぜ変える必要があるのかを分かりやすく、納得が得られるように説明する責任が生じる。私たちも、その理由や根拠を問わなければならない。

 礎の民主主義を立て直すのは、政治家だけの務めではない。国民主権にのっとれば、公文書改ざんなどが絶対に起きないように、政治に強い関心を持ち、緊張感を与えていくのは有権者である私たちである。戦後築いてきた民主国家を、この憲法とともに次世代に受け渡していく責任がある。

(2018年5月3日朝刊掲載)

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