核兵器廃絶 道半ば オバマ氏 広島訪問2年
18年5月21日
バラク・オバマ氏が米国の現職大統領として初めて被爆地広島を訪れてから、27日で2年を迎える。「私の国のように核を保有している国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」。広島での演説でオバマ氏は訴え、世界のヒロシマへの関心は確かに高まった。だが核兵器廃絶を求める被爆者らの願いは道半ばだ。特にトランプ大統領に交代した米国の核政策は「逆コース」に転じたように見える。この2年の変化を見つめ直したい。(金崎由美、水川恭輔)
原爆資料館を訪れたオバマ氏が地元中学生に手渡したピンクの折り鶴は今も館内で展示され、見学者の姿が絶えない。当初の展示予定は2016年6~8月だったが、反響を受けて延長に次ぐ延長。同館は「この2年、オバマ氏訪問が広島への関心を高め、来館者数を引き上げた」とみる。
17年度の入館者数は開館以来2番目に多い168万923人。外国人は39万人を超え、5年連続で最多更新した。市を訪れた各国要人数も高水準の79人。これを弾みに、市と広島県はローマ法王フランシスコへの訪問要請も進め、核兵器廃絶の機運向上を目指す。
ただ、オバマ氏に続く核兵器保有国トップの訪問はまだゼロ。「保有国は核兵器なき世界を追求する勇気を」―。広島での演説を聴いた被爆者たちからは、後任米大統領やほかの保有国の首脳も被爆地で原爆被害の実態を直視し、廃絶へ行動するよう求める声が上がるが、この点での「オバマ効果」は見えない。
「オバマさんの訪問を力に広島からぶれずに呼び掛けを続け、トランプさんにも被爆地で原爆の悲惨さを知ってもらうべきだ」。被爆者の田中稔子さん(79)=東区=は力を込める。昨年、国連本部を訪れて核兵器禁止条約制定を訴えた。オバマ前政権も条約には否定的だったが、条約へ反発を続ける保有国首脳の訪問をさらに実現させ、批准と廃絶に近づけたいと願う。
市も昨年秋までに2度、トランプ氏の被爆地訪問を文書で要請。廃絶を掲げたオバマ前政権とは逆行の姿勢を見せる核超大国のトップだけに、まだ実現の兆しはない。オバマ氏の在任時、訴えに賛同した広島の被爆者団体などから訪問要請が相次いだのと比べ、市民の動きはまだ少ない。
一部の被爆者や反核団体は、「迎え方」の重要性を指摘する。市、県がオバマ氏訪問前に原爆投下の謝罪にこだわらないと発した点や、当日の資料館見学が10分など被爆の実態に触れた機会が少なかったことへの疑問が理由。増える観光客に対しても、広島の訴えをどう効果的に伝えるかは課題だ。
「オバマ氏の訪問を振り返り、廃絶へ今後どう生かせるか市民が一緒に考える場をつくりたい」。被爆者の証言会などを開く中区のカフェ「ハチドリ舎」店主の安彦恵里香さん(39)は話す。「5・27」から2年に合わせ、オバマ氏訪問について考えるイベントを今月25日に開く。
被爆者の森重昭さん(81)=広島市西区=とオバマ氏が平和記念公園で抱擁したシーンは、世界中に知られた。それに先立つ演説で、オバマ氏は、捕虜として拘束され広島で被爆死した米兵の存在に触れた。
犠牲となった捕虜の特定や遺族の所在を調査し、供養と交流を続ける森さんは妻の佳代子さん(74)と22日から渡米する。
通話料や郵便料金に多額の私費を投じ、米国事情に詳しい友人にも支えられる森さん。腰を痛め、個人の長旅は難しかった。オバマ氏広島訪問の数カ月後も渡米を模索したが、佳代子さんの体調を考慮して断念していた。今回、「人生最後の機会」と決意した。
今回の旅は、広島でも関心が薄かった「敵」側の犠牲者の掘り起こしを続ける森さんの存在を知り、ドキュメンタリー映画にした米国人バリー・フレシェットさん(47)らの招待だ。その映画「ペーパー・ランタン(灯籠流し)」はオバマ氏が広島入りする直前に完成し、日米各地で上映が続いている。
森さんは訪米中、サンフランシスコやボストンでの上映会に出席し、被爆体験を語る。28日には退役軍人や米兵捕虜の遺族と慰霊行事に出席し、被爆者で声楽家でもある佳代子さんは歌の披露を依頼されている。ニューヨークの国連本部の訪問も調整中だ。
旅費はフレシェットさんらがクラウドファンディングサイト「GoFundMe」で集めた。2月に計画が報じられると日本からも数十万円が寄せられ、目標額2万ドル(220万円相当)の約8割が集まった。不足分はフレシェットさんが負担することになり、さらに寄付の呼び掛けは続く。「いっときの盛り上げで終わらせず、日米交流をより深めようと願う皆の心に感謝している」と森さん。
オバマ氏との対面から2年、森さんにも「米国でヒロシマへの関心は高まっただろうが、原爆被害の実態がそれだけ知られたとは言えない」という危機感もある。出発を前に「白血病やがんなどの後障害で一生苦しむのが原爆。本当の残酷さを語りたい」と語る。
オバマ政権は、新たな核兵器開発はせずに核兵器の役割も縮小する道を模索したが、半ば挫折。一方のトランプ政権は使用への「ちゅうちょ」を減じようと小型核開発を志向。イラン核合意から離脱を表明するなど、軍縮・不拡散を巡る国際協調の姿勢も見えない。それぞれの政策指針「核体制の見直し(NPR)」を比べると「ちゃぶ台返し」と「先祖返り」が鮮明だ。
2月に出たトランプ政権のNPRは計75ページ。その中で、核兵器の「小型化」が示された。巨大な戦略原子力潜水艦の核ミサイル「トライデント」の一部の弾頭を低威力化する計画と、艦船用の巡航核ミサイルを新たに開発する長期目標だ。
巡航核ミサイルはオバマ政権下が2010年に「トマホーク」の退役を決めた経緯がある。「核の傘が弱くなる」と懸念する日本政府を米国側が説得した。それが今回、形を変えての「復活」宣言に等しい。
強硬に核軍拡を進めるロシアに対抗する目的だが、問題は「使える核」の開発によりさらに緊張が高まるという危険性にとどまらない。日本への影響である。
長崎大核兵器廃絶研究センターの梅林宏道客員教授は「長期的には日本の非核三原則に反する『持ち込み』が、再び現実の問題となる可能性が出てきた」と指摘する。北朝鮮の非核化に向けた交渉が米朝間で模索される今だからこそ、非核三原則を法制化し、朝鮮半島だけでなく北東アジア地域の非核化を目指すべき道だ、と強調する。
NPRにある内容の具体化は始まっている。例えば今月10日、解体核兵器から出た核物質を再利用するためサウスカロライナ州に建設中の核燃料施設を、核弾頭の中心に詰める「プルトニウム・ピット」の製造施設に転換する計画が発表された。新型核開発を視野に「30年までに年間80個は製造できるように」としたNPRに基づく。
米国ではブッシュ政権時の04年に始まった「信頼性のある代替核弾頭(RRW)」という事実上の新型核開発計画に関連し、原爆開発拠点でもあったニューメキシコ州ロスアラモスにある製造施設の増強が持ち上がった。オバマ政権下で一部が中止に。似た試みは過去に何度かあったが、今度は「サウスカロライナ州でも」となった。
米ニューメキシコ州の反核団体メンバー、スコット・コバックさんは警戒している。「雇用創出などの政治的思惑が強いだろうが、今回も市民の力で押し返さねばいけない」
昨年に核兵器禁止条約が成立し、廃絶への期待が盛り上がる中で、別世界のように核大国は動いている。核軍縮が専門の大阪女学院大の黒沢満教授は「簡単ではないが、核軍拡につながる細かな動きにも被爆地から注目していくことが不可欠だ」と強調する。
ヒロシマとの溝 伝わらず
オバマ氏の広島訪問で、被爆地の思いはどこまで米国と世界に伝わったのか。現状に目を凝らすと、さまざまな課題が見えてくる。
「使える核」への意思を示したトランプ政権の核体制の見直し(NPR)が公表された2月、内容を評価する河野太郎外相の発言が被爆者らの反発を招いた。
米国ではオバマ政権で与党だった民主党の関係者から「安倍晋三首相は外相をとがめないのか。オバマ氏と一緒に原爆慰霊碑の前で『核兵器なき世界』を誓ったほどの人なのに」と驚きの声が出たという。核専門家のグレゴリー・カラキ氏が、自ら所属する専門家団体「憂慮する科学者同盟(UCS)」のブログで明かした。
オバマ氏と安倍首相がそろって平和記念公園に立つ2年前のシーンは、核兵器廃絶を目指す被爆国という日本のイメージを世界に印象付けた。しかしカラキ氏は本紙の取材に「日本ほど二つの違う顔を持つ国はない。表面では核兵器廃絶を唱えながら、米国防総省には核抑止力を増やせと強力に訴えている」と指摘した。広島での安倍首相のイメージしか見ていない人たちは、日本政府の本音と被爆地の世論がここまで別だとは知らないだろう、と。
広島市出身でシカゴ・デュポール大の宮本ゆき准教授は、特別の思いでオバマ政権下の8年間を見つめ続けた。オバマ氏が上院議員だった2007年、同大での演説の会場に向かう通路で偶然、原爆展の準備をしていた。オバマ氏が「核兵器なき世界」を初めて公に語ったのはその時だ。
「トランプ政権になり、身の回りでも排外主義的な言動は増えていると感じる。原爆被害という人間の痛みと向き合おう、という機運にとって逆風だ」と宮本准教授は痛感している。「どんなときも、原爆展などを通して粘り強く、市民同士がつながり、訴えていくしかない」
≪オバマ氏の広島訪問≫
2016年5月27日、伊勢志摩サミット出席後、オバマ氏は米軍岩国基地(岩国市)を経由して広島入りし、平和記念公園を訪問した。原爆資料館東館で被爆資料や佐々木禎子さんの折り鶴を見た後、招かれた市内の小学生と中学生に持ち込んだ折り鶴を手渡した。
安倍晋三首相も同行して原爆慰霊碑に献花し、碑前で17分間演説。「いつか被爆者たちの証言は聞けなくなる。それでも1945年8月6日の朝の記憶を風化させてはならない」「核を保有している国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」と述べた。
しかし原爆投下の是非に言及せず、謝罪はしなかった。演説後、日本被団協の坪井直代表委員と歴史研究家森重昭さんの被爆者2人と言葉を交わし、原爆ドームを対岸から眺めた。公園滞在52分間。
(2018年5月21日朝刊掲載)
被爆地に世界の関心 保有国の行動迫る声
原爆資料館を訪れたオバマ氏が地元中学生に手渡したピンクの折り鶴は今も館内で展示され、見学者の姿が絶えない。当初の展示予定は2016年6~8月だったが、反響を受けて延長に次ぐ延長。同館は「この2年、オバマ氏訪問が広島への関心を高め、来館者数を引き上げた」とみる。
17年度の入館者数は開館以来2番目に多い168万923人。外国人は39万人を超え、5年連続で最多更新した。市を訪れた各国要人数も高水準の79人。これを弾みに、市と広島県はローマ法王フランシスコへの訪問要請も進め、核兵器廃絶の機運向上を目指す。
ただ、オバマ氏に続く核兵器保有国トップの訪問はまだゼロ。「保有国は核兵器なき世界を追求する勇気を」―。広島での演説を聴いた被爆者たちからは、後任米大統領やほかの保有国の首脳も被爆地で原爆被害の実態を直視し、廃絶へ行動するよう求める声が上がるが、この点での「オバマ効果」は見えない。
「オバマさんの訪問を力に広島からぶれずに呼び掛けを続け、トランプさんにも被爆地で原爆の悲惨さを知ってもらうべきだ」。被爆者の田中稔子さん(79)=東区=は力を込める。昨年、国連本部を訪れて核兵器禁止条約制定を訴えた。オバマ前政権も条約には否定的だったが、条約へ反発を続ける保有国首脳の訪問をさらに実現させ、批准と廃絶に近づけたいと願う。
市も昨年秋までに2度、トランプ氏の被爆地訪問を文書で要請。廃絶を掲げたオバマ前政権とは逆行の姿勢を見せる核超大国のトップだけに、まだ実現の兆しはない。オバマ氏の在任時、訴えに賛同した広島の被爆者団体などから訪問要請が相次いだのと比べ、市民の動きはまだ少ない。
一部の被爆者や反核団体は、「迎え方」の重要性を指摘する。市、県がオバマ氏訪問前に原爆投下の謝罪にこだわらないと発した点や、当日の資料館見学が10分など被爆の実態に触れた機会が少なかったことへの疑問が理由。増える観光客に対しても、広島の訴えをどう効果的に伝えるかは課題だ。
「オバマ氏の訪問を振り返り、廃絶へ今後どう生かせるか市民が一緒に考える場をつくりたい」。被爆者の証言会などを開く中区のカフェ「ハチドリ舎」店主の安彦恵里香さん(39)は話す。「5・27」から2年に合わせ、オバマ氏訪問について考えるイベントを今月25日に開く。
草の根交流 米で深化 対面の森さん あす出発
被爆者の森重昭さん(81)=広島市西区=とオバマ氏が平和記念公園で抱擁したシーンは、世界中に知られた。それに先立つ演説で、オバマ氏は、捕虜として拘束され広島で被爆死した米兵の存在に触れた。
犠牲となった捕虜の特定や遺族の所在を調査し、供養と交流を続ける森さんは妻の佳代子さん(74)と22日から渡米する。
通話料や郵便料金に多額の私費を投じ、米国事情に詳しい友人にも支えられる森さん。腰を痛め、個人の長旅は難しかった。オバマ氏広島訪問の数カ月後も渡米を模索したが、佳代子さんの体調を考慮して断念していた。今回、「人生最後の機会」と決意した。
今回の旅は、広島でも関心が薄かった「敵」側の犠牲者の掘り起こしを続ける森さんの存在を知り、ドキュメンタリー映画にした米国人バリー・フレシェットさん(47)らの招待だ。その映画「ペーパー・ランタン(灯籠流し)」はオバマ氏が広島入りする直前に完成し、日米各地で上映が続いている。
森さんは訪米中、サンフランシスコやボストンでの上映会に出席し、被爆体験を語る。28日には退役軍人や米兵捕虜の遺族と慰霊行事に出席し、被爆者で声楽家でもある佳代子さんは歌の披露を依頼されている。ニューヨークの国連本部の訪問も調整中だ。
旅費はフレシェットさんらがクラウドファンディングサイト「GoFundMe」で集めた。2月に計画が報じられると日本からも数十万円が寄せられ、目標額2万ドル(220万円相当)の約8割が集まった。不足分はフレシェットさんが負担することになり、さらに寄付の呼び掛けは続く。「いっときの盛り上げで終わらせず、日米交流をより深めようと願う皆の心に感謝している」と森さん。
オバマ氏との対面から2年、森さんにも「米国でヒロシマへの関心は高まっただろうが、原爆被害の実態がそれだけ知られたとは言えない」という危機感もある。出発を前に「白血病やがんなどの後障害で一生苦しむのが原爆。本当の残酷さを語りたい」と語る。
「使える核」に方針転換 トランプ政権
オバマ政権は、新たな核兵器開発はせずに核兵器の役割も縮小する道を模索したが、半ば挫折。一方のトランプ政権は使用への「ちゅうちょ」を減じようと小型核開発を志向。イラン核合意から離脱を表明するなど、軍縮・不拡散を巡る国際協調の姿勢も見えない。それぞれの政策指針「核体制の見直し(NPR)」を比べると「ちゃぶ台返し」と「先祖返り」が鮮明だ。
2月に出たトランプ政権のNPRは計75ページ。その中で、核兵器の「小型化」が示された。巨大な戦略原子力潜水艦の核ミサイル「トライデント」の一部の弾頭を低威力化する計画と、艦船用の巡航核ミサイルを新たに開発する長期目標だ。
巡航核ミサイルはオバマ政権下が2010年に「トマホーク」の退役を決めた経緯がある。「核の傘が弱くなる」と懸念する日本政府を米国側が説得した。それが今回、形を変えての「復活」宣言に等しい。
強硬に核軍拡を進めるロシアに対抗する目的だが、問題は「使える核」の開発によりさらに緊張が高まるという危険性にとどまらない。日本への影響である。
長崎大核兵器廃絶研究センターの梅林宏道客員教授は「長期的には日本の非核三原則に反する『持ち込み』が、再び現実の問題となる可能性が出てきた」と指摘する。北朝鮮の非核化に向けた交渉が米朝間で模索される今だからこそ、非核三原則を法制化し、朝鮮半島だけでなく北東アジア地域の非核化を目指すべき道だ、と強調する。
NPRにある内容の具体化は始まっている。例えば今月10日、解体核兵器から出た核物質を再利用するためサウスカロライナ州に建設中の核燃料施設を、核弾頭の中心に詰める「プルトニウム・ピット」の製造施設に転換する計画が発表された。新型核開発を視野に「30年までに年間80個は製造できるように」としたNPRに基づく。
米国ではブッシュ政権時の04年に始まった「信頼性のある代替核弾頭(RRW)」という事実上の新型核開発計画に関連し、原爆開発拠点でもあったニューメキシコ州ロスアラモスにある製造施設の増強が持ち上がった。オバマ政権下で一部が中止に。似た試みは過去に何度かあったが、今度は「サウスカロライナ州でも」となった。
米ニューメキシコ州の反核団体メンバー、スコット・コバックさんは警戒している。「雇用創出などの政治的思惑が強いだろうが、今回も市民の力で押し返さねばいけない」
昨年に核兵器禁止条約が成立し、廃絶への期待が盛り上がる中で、別世界のように核大国は動いている。核軍縮が専門の大阪女学院大の黒沢満教授は「簡単ではないが、核軍拡につながる細かな動きにも被爆地から注目していくことが不可欠だ」と強調する。
抑止力求める日本政府
ヒロシマとの溝 伝わらず
オバマ氏の広島訪問で、被爆地の思いはどこまで米国と世界に伝わったのか。現状に目を凝らすと、さまざまな課題が見えてくる。
「使える核」への意思を示したトランプ政権の核体制の見直し(NPR)が公表された2月、内容を評価する河野太郎外相の発言が被爆者らの反発を招いた。
米国ではオバマ政権で与党だった民主党の関係者から「安倍晋三首相は外相をとがめないのか。オバマ氏と一緒に原爆慰霊碑の前で『核兵器なき世界』を誓ったほどの人なのに」と驚きの声が出たという。核専門家のグレゴリー・カラキ氏が、自ら所属する専門家団体「憂慮する科学者同盟(UCS)」のブログで明かした。
オバマ氏と安倍首相がそろって平和記念公園に立つ2年前のシーンは、核兵器廃絶を目指す被爆国という日本のイメージを世界に印象付けた。しかしカラキ氏は本紙の取材に「日本ほど二つの違う顔を持つ国はない。表面では核兵器廃絶を唱えながら、米国防総省には核抑止力を増やせと強力に訴えている」と指摘した。広島での安倍首相のイメージしか見ていない人たちは、日本政府の本音と被爆地の世論がここまで別だとは知らないだろう、と。
広島市出身でシカゴ・デュポール大の宮本ゆき准教授は、特別の思いでオバマ政権下の8年間を見つめ続けた。オバマ氏が上院議員だった2007年、同大での演説の会場に向かう通路で偶然、原爆展の準備をしていた。オバマ氏が「核兵器なき世界」を初めて公に語ったのはその時だ。
「トランプ政権になり、身の回りでも排外主義的な言動は増えていると感じる。原爆被害という人間の痛みと向き合おう、という機運にとって逆風だ」と宮本准教授は痛感している。「どんなときも、原爆展などを通して粘り強く、市民同士がつながり、訴えていくしかない」
≪オバマ氏の広島訪問≫
2016年5月27日、伊勢志摩サミット出席後、オバマ氏は米軍岩国基地(岩国市)を経由して広島入りし、平和記念公園を訪問した。原爆資料館東館で被爆資料や佐々木禎子さんの折り鶴を見た後、招かれた市内の小学生と中学生に持ち込んだ折り鶴を手渡した。
安倍晋三首相も同行して原爆慰霊碑に献花し、碑前で17分間演説。「いつか被爆者たちの証言は聞けなくなる。それでも1945年8月6日の朝の記憶を風化させてはならない」「核を保有している国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」と述べた。
しかし原爆投下の是非に言及せず、謝罪はしなかった。演説後、日本被団協の坪井直代表委員と歴史研究家森重昭さんの被爆者2人と言葉を交わし、原爆ドームを対岸から眺めた。公園滞在52分間。
(2018年5月21日朝刊掲載)