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連載・特集

イワクニ 地域と米軍基地 ドイツ・イタリアから <4> 突然の撤退

経済効果消滅 自立迫る

跡地開発に活路 雇用回復

 フランス国境に近いドイツ南西部の山あいにあるツバイブリュッケン市に、アウトレットモールを訪ねた。100以上のファッションブランドが出店する同国最大級のモールは、平日でも買い物客でにぎわっていた。周囲には民間飛行場や企業団地も広がる。この一帯は、1991年まで米空軍基地だった。

 「基地の撤退は突然だった」と、同市のハインツ・ブラウン報道広報部長は振り返る。89年の冷戦終結に伴い、欧州に展開していた米軍は大幅に縮小された。米シンクタンク・ヘリテージ財団の調査では50年代、約1200カ所あった米軍基地は現在、3分の1以下に減少した。在欧米軍の中核だったかつての西ドイツには再編の波が直撃した。

 人口約3万4千人の同市。基地は第2次世界大戦後に造られた。基地の撤退当時、数千人の米軍関係者が市とその周辺で暮らしていた。撤退で年60億~70億円の経済効果が一気に吹き飛んだ。失業率は7%から18%へ急上昇し、仕事を求める若者の流出が進んだ。

「振り回されぬ」

 基地の跡地は約340ヘクタール。マツダスタジアム267個分もの広大なエリアをどう活用するか。市は周辺自治体や州政府に協力を求め、アウトレットモール誘致を核にした開発計画に活路を求めた。撤退から10年後の2001年、開業にこぎつけた。モールは近隣のフランス、ルクセンブルクなどからも集客し、年間400万人が訪れるまでになった。約3千人の雇用も生み出している。

 ブラウン部長は撤退当時、地元紙の記者だった。基地依存からの脱却を強いられ、戸惑う基地のまちを見てきた。「撤退のショックは大きかったが、自分たちの街の在り方を真剣に考えるきっかけになった」と言う。

 跡地開発は、全てが順風満帆ではない。残された滑走路を活用した民間飛行場は14年以降、定期便が途絶えている。周辺でも基地の撤退が相次ぎ、同様に民間飛行場に転換した地域と競合するためだ。「それでも市はもう、米軍に振り回されることはない」。ブラウン部長は口調を強めた。

依存強める地も

 基地の撤退は、その地域に「自立」を迫った。一方、今も基地が残る地域には「依存」を強める所もある。

 ツバイブリュッケン市から北西に約100キロ離れたシュパングダーレム町。人口約900人の小さな町に米空軍基地がある。約100人の町民が米軍に関係する仕事に就く。配備されたF16戦闘機24機が、頻繁にごう音を響かせていた。

 米国は15年、国防予算の削減を目的に新たな在欧米軍の再編計画を発表した。ここでは、英国内の米軍基地から輸送機オスプレイ約10機を移転させる計画が浮上していた。

 「確かに騒音や危険は増すかもしれないが、人も、雇用も、収入も増える。地元に抗議の動きはない。米軍は私たちの社会の一部だ」。クラウス・ローデンス町長は、オスプレイを受け入れる意向を明言した。

 米軍の都合が優先される再編はその都度、地域に決断を迫る。「米軍基地はいつなくなってもいい、という覚悟を、自治体は持つ必要がある」とブラウン部長。基地撤退の経験から得た教訓だ。(明知隼二)

(2018年5月23日朝刊掲載)

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