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「ヒロシマ」広がる感動 聴力失いながら作曲 被爆2世の佐村河内さん

 広島市佐伯区出身で被爆2世の作曲家佐村河内(さむらごうち)守さん(49)=横浜市=が手掛けた「交響曲第1番 HIROSHIMA」のCDがクラシックとしては異例のヒットとなっている。35歳で聴力を失った後、音感と記憶を頼りに3年かけて紡いだ3楽章80分超の作品。絶望と向き合う生きざま、障害のある子どもとの交流がドキュメンタリー番組で紹介され、反響を呼んでいる。(山本洋子)

 先月上旬にNHKで番組が放映された後、問い合わせが殺到。最大手の通販サイトでは一時、売り上げ1位に。販売元の日本コロムビア(東京)によると、放映前は約7千枚だった出荷枚数は一気に5万枚を突破した。

 山野楽器本店(銀座)の担当者は「美しい旋律、演歌にも通じる曲調が感動を呼んでいる。特に50歳代以上の人がよく買いに来られる」と話す。

 佐村河内さんは「人はみな闇を抱え、光を求めたい。絶望の闇と希望の光という主題が時代の共感を得たのでは」と受け止める。

 片頭痛と激しい耳鳴りに薬は手放せない。刺激を避けて照明を抑えた部屋で、頭の中で緻密に組み立てた旋律を五線譜に一つ一つ落として作曲する。

 「出会いに光をもらって今の僕がある」と佐村河内さん。五日市中時代の恩師を通じて出会った少年は骨肉腫を患っていた。最期をみとるまで「強さ、明るさに僕の方が救われた」。障害のある子どもに曲を贈るなどして各地で交流を続ける。

 人生と曲を重ねて語られることに「自分への注目は必要ない」ときっぱり。だが「若い人がヒロシマに触れるきっかけになるならうれしい」。

 CD化を機に「HIROSHIMA」の副題を付けた。被爆者の両親から聞いた原爆の存在が土台にある。海外の楽団から上演の打診も届く。「ヒロシマの名を冠した曲が世界で広く、長く受け入れられれば苦しみにも価値を感じられる」

佐村河内守さんの略歴
 4歳から母親の指導でピアノを始め、独学で作曲を身に付ける。路上生活などを経て「バイオハザード」などゲーム音楽で高い評価を得る最中、聴力を喪失。2003年に「交響曲第1番」を作曲した。08年、秋山和慶率いる広島交響楽団が1、3楽章を初演。昨年7月、東京交響楽団による全楽章を収録したCDが販売された。

(2012年12月11日朝刊掲載)

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