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連載・特集

イワクニ 地域と米軍基地 ドイツ・イタリアから <7> 変化した前線

冷戦後 伊の管理権明記

国内法順守 日本と別環境

 ドイツの「基地のまち」を巡った後、イタリアに入った。欧州でドイツに次いで在欧米軍の駐留人数が多い国だ。最初に向かったのはイタリア北東部のアビアノ市。同国最大のアビアノ米空軍基地がある市郊外へ車を走らせていると、2機の戦闘機がごう音とともに頭上を通過していった。

訓練に承認必要

 基地を巡る環境は、日本と大きく異なっていた。米軍は全ての訓練でイタリアの国内法を順守し、事前にイタリア側の承認を得る必要もある。在日米軍には、航空法など日本の法律の多くが適用されていない。

 アビアノ基地の所属機が飛行できる時間は午前8時~午後10時。それ以外の時間帯と土日は原則禁止だ。広島、島根両県の西中国山地の住民が悩まされている低空飛行訓練も「町のどの方向からも最低2・7キロ離れる」と決められていた。イタリア軍が米軍基地を管理し、米軍の「監視役」になっていた。

 「夜間の訓練飛行はなくなり、以前のような騒音問題もない。米軍はちゃんとルールを守っている」。基地へ出発する前、市中心部の市庁舎で会ったダニーロ・シニョーレ副市長は自国の権限に胸を張った。

 米軍と地域の関係の転機は1989年の冷戦終結だった。両国政府は95年、基地運用ルールの原則やイタリア側の管理権限を明記した「モデル実務取り決め」を交わした。

 アビアノ基地のゲート前に着くと、近隣の住民が集まっていた。訪れた4月25日はイタリアの第2次世界大戦解放記念日で、反戦集会だった。100人ほどの参加者は口々に米軍基地の撤退を訴えた。

 「ここから、何千という戦闘機が空爆のために飛び立ったんだ」。ディピアツァ・ピエールルイジ神父(70)は99年、北大西洋条約機構(NATO)による旧ユーゴスラビアの空爆拠点だった基地を指さした。

 NATOの攻撃は、ユーゴ・コソボ自治州(当時)での民族圧迫に対する「人道的介入」を理由とした。約750キロ離れたアビアノ基地からの出撃は78日間で約9千回に上った。

戦争放棄の憲法

 旧共産圏に対抗する最前線だったイタリアの米軍基地。冷戦終結で、役割はバルカン半島や中東、北アフリカを含めた周辺の安定維持へと変化した。イラク戦争などの「テロとの戦い」でも、アビアノ基地は部隊派遣や補給支援を担った。

 「米軍基地とはいえ、イタリア領土にある。ここから戦争に行くのは憲法に反する」。集会の参加者が基地撤去を求める根拠は、イタリアが敗戦後に制定した憲法第11条の「戦争放棄」にある。米軍基地が自国軍の管理下にあるからこその反発だった。

 同じように戦争放棄を定めた憲法9条を巡り、改憲論議で揺れる日本の現状を思い起こした。

 神父は95年に被爆者の故沼田鈴子さんをイタリアに招き、自身もその10年後の8月、広島市を訪ねた。「ヒロシマを経ても戦争は絶えない。平和を求めた鈴子さんの願いはどうすれば届くのか」。神父の問いは日本にも投げ掛けられていた。(明知隼二)

イタリアのモデル実務取り決め
 イタリア国内の米軍基地の管理や運用のルールを定めるため1995年、イタリアと米国の政府間で交わされた。基地ごとに作るルールのひな型との位置付け。米軍基地をイタリア軍の管理下に置く▽イタリア軍司令官は米軍基地内を自由に立ち入ることができる▽米軍はイタリアの法律を順守する▽地元自治体との協議機関「地域委員会」を設ける―などの規定があり、イタリア側に日本より強い権限を認めている。

(2018年5月26日朝刊掲載)

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