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原爆測定の落下傘 発見 広島市安佐北区の民家 語り継ぐ資料 活用へ

爆発の威力調査 米軍が投下

 広島への原爆投下の直後、米軍が爆発の威力を調べるために使った測定装置に付けた落下傘の一部が、広島市安佐北区可部の民家で見つかった。同区亀山地区に落ちた一部とみられる。原爆投下にまつわる地域の歴史を物語る資料で、終戦から70年を過ぎての発見に関係者は驚いている。(山田英和)

 白い布でナイロン製とみられる。野球の本塁ベースのような形で、上部が185センチ、側面の2辺が各150センチ、下部の2辺が各100センチ。野球ボールのマークや記号が描かれている。原爆資料館(広島市中区)によると、広島原爆戦災誌に記された落下傘とマークなどの特徴が一致した。安佐北区亀山地区の3カ所に落ちた落下傘の一部とみられる。保管する布3点と比べて大型という。

 昨年8月、可部3丁目の社会福祉法人理事長、沼田穆明(よしあき)さん(79)宅で妻裕子さん(75)が荷物の整理中に見つけた。「家にあるらしいとは聞いていたが、まさか本当に見つかるとは」と裕子さん。かつて同居していた穆明さんの叔母、今本武子さん(96)=中区=が持ち帰ったものだが、入手先は不明という。

 原爆を搭載した米軍B29爆撃機エノラ・ゲイは、科学観測機や写真撮影機とともに3機で飛来。科学観測機は爆発の風圧や温度を測定するため、少なくとも3器の爆発測定無線装置を落下傘で投下した。装置は爆心地から北に約15キロ離れた亀山地区の水田や山の計3カ所に落下し、旧日本軍が回収した。

 原爆資料館は布やひも、測定装置の計9点の落下傘に関連する資料を保存している。当時、布は貴重だったため、落下傘は住民が持ち帰り服などに加工した例が多いという。裕子さんは「状態は良く、戦争を語り継ぐために活用してほしい」と、原爆資料館への寄贈を考えている。

 安佐北区亀山地区の落下傘が落ちた場所には石碑が建ち、戦争の歴史を学ぶ場となっている。大毛寺(おおもじ)連合町内会の浜田昭法会長(76)は「当時、時限爆弾が落ちてきたと大騒ぎになり、母と防空壕(ごう)に逃げた。米兵が来る、と竹やりを作り始めた人もいた」。石碑の説明役を務めており、戦争を語る資料として布の活用を期待する。

(2018年5月28日朝刊掲載)

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