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社説・コラム

『潮流』 ゆだ苑の「遺産」

■防長本社編集部長 広田恭祥

 山口市中心部にある湯田温泉の一角。ビル1階ロビーの壁際にあるスチール棚に、古びたカセットテープが並ぶ。40年ほど前から10年かけて、山口県ゆかりの被爆者と2世にインタビューをした記録である。

 証言を掘り起こす活動の拠点となったのが傍らに事務所を置く「ゆだ苑」だった。被爆者の保養施設としてスタートし、当初の役割を終えても集団健診や平和への発信を重ね、今月で半世紀を迎えた。多くの被爆者が亡くなり、あるいは高齢となる中、運営や体験継承、核兵器廃絶への活動にどう取り組んでいくか。節目を機に議論を始めたばかりだ。

 ゆだ苑の職員や大学生たちが仕事や学業の合間に被爆者を訪ね、とどめた肉声は、目指すべき未来を物語る。6代目理事長の岩本晋さん(75)は「広島、長崎には遅れたが、それまで耐え忍び、たまっていたエネルギーが表出した」と推察する。

 地道な作業で44人分を文章に起こし、1980~90年に「語り 山口のヒロシマ」として全7巻を刊行。被爆の惨状だけでなく、戦後の貧しい日々や差別の現実も克明に記し、岩国市の米軍基地への核持ち込み疑惑など編集当時の激動も刻んだ。

 決して忘れてはならない体験―。竹原支局に勤務していた頃通った大久野島の資料館を思い出す。隠し通された毒ガス製造の歴史。元養成工で初代館長の故村上初一さんが資料や証言を集め、語り伝えていた。仲間と冊子を編み、「戦争は加害者にも被害者にもなる。次の世代が道を誤らないように」と訴え続けた。

 「語り」最終巻は「新しい『語り』が、若い人たちの手で、いずれ誕生する」と予見していた。3年前から山口県立大生が被爆証言を集め「平和のバトン」を発行している。ゆだ苑は録音テープのデジタル化も進めていく考えだ。確実にあすへと受け渡してこそ、遺産は生きる。

(2018年5月29日朝刊掲載)

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